戦争中に枚方から出された郵便物がYahoo!オークションに出品されています。
↓こちら。
★1昭7銭貼書留 大阪枚方中宮17.7.15 Yahoo!オークション
昭和17年(1942年)7月15日に「大阪枚方中宮」の消印がされていて、宛先は滋賀県甲賀郡大原村大久保。書留郵便です。貼られている切手は「東郷平八郎元帥」の5銭切手2枚と、「金剛山」の7銭切手1枚。滋賀県までは17銭で手紙が送れたんですね。この「金剛山」は大阪の金剛山じゃなくて当時日本領だった朝鮮の金剛山です。
↓現在の枚方中宮郵便局はここ。
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関西外大の近くです。
左のポストがあるところが枚方中宮郵便局。奥に外大が見えてます。この消印が押された時にもこの場所にあったのかはわからないですけどね。
ちなみに枚方で最初にできた郵便局は1871年(明治4年)岡新町村の「枚方郵便取扱所」で、次いで田口村(明治9年)、津田村(明治15年)と続き、他の郵便局ができたのは全て昭和に入ってからだそうな。
消印の昭和17年というと戦争真っ只中ですが、「枚方市史」によると昭和15年頃から生活必需品が配給制になっていて、衣料品・マッチ・砂糖・菓子・酒・肉・油・乳製品・衛生綿・バケツなどに加えて、昭和17年にはパン・塩・味噌・醤油・石鹸・生鮮食料品などが配給制になっています。
枚方市史にはさらに昭和17年7月13日から枚方署管内で「防諜週間」というキャンペーンをやっていたという記載があります。消印は昭和17年7月15日ですからまさにこの期間内です。このような「防諜週間」が行われた理由は、枚方には禁野火薬庫などの軍事施設があったことから軍事機密の保持の必要性が一段と高かったからだそうです。この消印がされてる「枚方中宮郵便局」は禁野火薬庫や枚方製造所の間近にあるので、このあたりは特にピリピリしてたかもしれません。
オークションに出品されているのはあくまで切手ですが、こういった歴史的背景を考えると手紙に書かれていた内容というか、その持つ意味合いが少しは想像できますね。当然用件はわからないですが、色々な物資が不足している中、書留で「親展(宛名の本人が封を切ってほしいという意味)」とも書いて送るというのはそれなりに大切な内容だったんじゃないでしょうか。