通勤・通学途中に枚方のことがもっと詳しくなれる【ひらかたクイズ】コーナー!
今回のクイズはこちら↓
Q.完成まで紆余曲折した枚方大橋の完成の目途がたったのはなぜでしょう?
a.陸軍からの機械や労働力の無償提供
b.全国各地から人手を募集したから
c.国からの多額の補助金
さて、なかなか作られなかった初代枚方大橋の完成の目途がたったのはなぜでしょうか…!
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さあ、どうでしょう〜?
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正解は、aの陸軍からの機械や労働力の無償提供でしたー!
正確には陸軍高槻工兵隊重架橋中隊が、演習のために架橋に伴う機械や労働力を無償で提供してくれるようになったからです。ソースは「枚方の歴史」のP263。
※工兵とは土木建築などの技術に特化した部隊。
枚方大橋完成までの流れはこんな感じ↓
枚方市史第四巻のP601によると、1909年(明治42年)には「朝日新聞」に淀川の架橋問題が報道されていたとのこと。同じ年に枚方町議会は大阪府に対して架橋を請願しました。
その次の年には橋本、現在の京都府八幡市で渡船が暴風で沈没するという事故が起き、架橋が急務とされ枚方市は3000円の寄付を申し出たとのこと。
しかし、架橋は中々進むことなく、1923年(大正12年)に淀川両岸の15ヶ町村が集まって、再び請願書を提出したようです。
その後、1925年(大正14年)高槻工兵隊が重架橋中隊としての演習のため機械や労働力の無償提供をしようとする動きが。
更に橋の資材として京阪電車の宇治川・木津川の鉄橋架替え工事が行われることになったため、古鉄橋を譲り受けてそれを当てるという構想が持ち上がったんだそう。クイズの選択肢には出していないのですが、宇治川・木津鉄橋も完成の大きな要因のようです!
1926年(大正15年)には構想のとおり、京阪電鉄が大阪府に宇治川・木津鉄橋の譲渡を決定したため架橋問題は大きく進展したんだとか。
そして、1930年(昭和5年)枚方大橋の開通した当日は、踊りや屋台・提灯行列などの催し物、おでんの炊き出しなどが行われたそうです。(→写真でみるひらかた今昔)
実に完成までに21年の歳月がかかっている枚方大橋。完成の裏には様々なドラマがありそうですねー!
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