↓こちら
2/10(土)に現地説明会が開催され、その様子を見に行きましたのでレポートします!
↓以下、枚方市からのプレスリリースを引用
隣接する京都府八幡市から京田辺市にかけては、同様の構造や副葬品をもった大規模な横穴墓群が発見されている。
今回の調査によって北河内の地にも横穴墓群が造営されていることが明らかとなり、北河内における古墳時代末期の墓制を根本的に考え直す重要な発見となった。
関西外大の付近の小松製作所に隣接する部分にあります。
アゼクラ遺跡は南側に甲斐田川、北側に黒田川があり、その間の谷筋に挟まれています。
周辺には渚東遺跡・御殿山遺跡・牧野車塚古墳など複数の遺跡が。
では、現場に入って行きます。
入り口から現場までの道の間に地図と写真が展示されていました。
調査地:枚方市上野3丁目地内
調査期間:平成29年12月4日~平成30年2月(予定)
面積:約640㎡。
調査主体:枚方市教育委員会
井戸さんのお話によると、この場所は、近代には軍事施設である陸軍の枚方製造所があり、戦後には小松製作所大阪工場ができて大規模に埋め立てられ、もとの地形がはっきり分からなくなっていたそう。
厚さ2〜5m程の盛り土で埋まっていたため、この横穴墓群の存在は知られていなかったんだとか。
横穴墓とは丘陵斜面を真横にくりぬいた横穴式の埋葬施設で、群集して造られていることが特徴だそう。今回のものは斜面地一帯に横穴墓群が形成されていたと想定されるそうです。
井戸さんのお話によると、見学者が立っているあたりでまだ掘られていない部分にももっと墓群が続いている可能性があるとのこと。
また、八幡市の横穴墓群と今回のアゼクラ遺跡の横穴墓群が大変よく似ているそうで、このあたりの墓の特徴なのではとお話しされていました。
こうした調査成果から、枚方あたりにも京田辺・八幡と共通した横穴墓群が造られていることがわかりました。特に今回の調査は北河内における古墳時代末期の墓制を根本的に考え直す重要な発見となった、とのこと。
館長白石太一郎氏のコメント
大阪府の河内地域でもその南半で生駒山脈の南端にあたり、線刻壁画で有名な柏原市高井田横穴群、さらに大和川を隔てた南の同市玉手山丘陵の安福寺横穴群や玉手山東横穴群などが有名ではあるが、河内北部では横穴の存在は知られていなかった。
ただ今回横穴群がみつかった枚方丘陵のすぐ東方、山城地域になるが、同じ生駒山地北辺の丘陵地帯では、京都府八幡市美濃山横穴群、同市荒坂横穴群、京田辺市松井横穴群、同市堀切横穴群などが早くから知られていた。
アゼクラ横穴群もまたこの生駒山地北辺の南山城の横穴群との関わりで捉えることができよう。いずれにしても、北河内にも横穴墓群が存在することが確実になったわけで、墳丘をもつ古墳とは異なる横穴墓の被葬者の性格を解明する上でも、きわめて重要な発見である。
その時の記事はまた後日改めて、詳しくお伝えいたします!
お楽しみに。
関連記事
・枚方市教育委員会文化財課(公式サイト)
・都市計画道路御殿山小倉線の埋蔵文化財確認調査の報告について(枚方市HP)
※当記事の画像、写真等の無断使用・転載を固く禁じます。