昨日アップした、枚方市民でサハラマラソンでは2013-2015年の三年連続日本人最高位をとり、ゴビデザートマラソン2014総合優勝をした杉村さんへのインタビュー記事の後編となります!
前編と合わせてお楽しみ下さい。
(左が今回インタビューさせてもらった杉村さんで、右が聞き手のカトゥー@ひらつー)
― 普段はどういうトレーニングを?
「夏場は山ですね。お盆には南アルプスを縦走しました」
― それは高地トレーニングとかも兼ねてですか?
「いや…正直、ロードを走るのがそんなに好きじゃないんですよ。変化も少ないですし、夏は暑いでしょ?(笑)
山は目的地もあるし過程も楽しめますし、何より1日12時間もロード走るのを5日間したらうつ病なりますからね」
― 12時間も毎日走るんですか?5日間も?
「普通は10日から2週間かけて行くコースなので、それくらいのペースですね。でも景色が変わるのでロードに比べれば全然楽しめます」
― 確かに毎日ロードを12時間×5日間走るのは考えるだけでしんどいです(苦笑)。でも、砂漠ってイメージでは景色が変わらないという印象なんですが…
「まぁ、変わらないっちゃ変わらないんですけど…サハラ砂漠っていうのはかつて海の底だったんです。今は標高600mくらいあるんですが、岩場とかにいくとアンモナイトとか化石だらけなんですよ」
― へー!意外!
「しかも、なだらかに見えますけど岩稜帯の山みたいのがあったりで火星みたいなイメージなんです。なんていうか『裸の星』って感じなんです」
― そこを走るというのはロードというよりは山登りとかに近いと?
「そうですね。変化もあるし、目的地もあるし。
来月もヨーロッパ三大北壁のひとつグランド・ジョラス(→Wikipedia)とモンブラン(→Wikipedia)を登りに行きます」
― レースだけじゃなく、海外の山まで登ってるんですか?
「海外の山は今回初めてなんですけど、お盆に一緒に山を登った人がエベレストを含むセブンサミッツ(七大陸最高峰→Wikipedia)を制覇した方なんです。その人、ほかにも8,000m峰を6回登っているんですよ」
― は〜〜(感嘆の声)
「実はその人がサハラマラソンで毎年日本人1位を争っているライバルでもあるんです」
― なんと!ちなみに、おいくつの方なんですか?
「63歳になられるんですけどね。その方とお盆に山に一緒に行って『次、何出る?』みたいな話になって」
― ヨーロッパまで行くってなったら時間もかかりますよね?
「そうですね。今回、レースと抱合せで山に行くので」
― え?レースにも出るんですか??
「8月末にウルトラトレイル・デュ・モンブラン(→Wikipedia)というのがあるんです。フランス南の町からスイスとイタリアの国境をずっと越えて170kmくらい山の周りを走る、世界で最も過酷で最も人気のある山岳レースなんですけど、それを走ってからグランド・ジュラスとモンブランの山登りですね」
※注:インタビューの時期はお盆明けでした。
― 過酷すぎます…(笑)ちなみに…ご家族の皆さまのご理解はいただいてるんでしょうか…
「ご理解いただいていると思います…ハイ。海外のレースなどに参加する時間を作るために、普段は結構つめて仕事しています…ハイ(笑)」
― ゴビデザートマラソンで総合優勝された時の気持ちはいかがでしたか?
「一番ってなかなかとれないんですよ。なので、やっぱり単純に嬉しかったですね」
― とてつもなく長いレースですし喜びもひとしおじゃないですか?
「そうですね…。バイクやってる時とかは二番とか三番とかは何回もあるんですけど、一番はあんまりとったことがなくて。二番になった時とかって色々言い訳してたりとか、なんかとちょっと心が屈折している状態なんですね」
― 心が屈折…
「はい。でも、2014ゴビデザートマラソンで一番になって思ったのが、みんなが居てくれたから一番になれた、ということだったんです。
不思議な話、感謝が出てくるんです。二番の人がいるから一番になれた。追い上げてくれたから一番になれた…というように。そういったことを感じられたのもあって、一番を味わえてよかったなぁと思いました」
― 『サハラマラソンでの優勝!』というのは遠いんでしょうか?
「サハラマラソンは世界からプロの招待選手が呼ばれるので、逆立ちしたってかないっこないんです(笑)」
― ちなみにサハラマラソンに参加している日本人の方ってどれくらいなんですか?
「だいたい40人くらいですかね。リピーターが多いですね」
― 走り終わった後って「もうしばらく走りたくない…」って思いません?
「なりますなります!もう1mmも走りたくないってなりますよ(笑)」
― でもリピートしてしまう何かがあるんですか?
「ラリーっていう言葉の語源が『再び集う』という意味なんです。
ステージレースに行くと日本人だけじゃなくて、世界中の人と同じくらいのスピードで走って何日も切磋琢磨していくんですね。短いレースみたいにギスギスしていなくて、辛そうにしていたら『頑張れよ!』って声もかけますし、励まし合って行くわけです。
1年目はもちろんはじめてですけど、2年目は『やぁ!』っていう感じでスペイン人の◯◯くん!ドイツ人の▽▽さん!久しぶり!ってなるんです」
― 世界の仲間と再び集うんですね。
「オーバーナイトステージという夜を通して走る日があるんですが、1年目参加した時はふらふらなって走ってたらスペイン人のジェイミーってやつがスニッカーズくれたんです。『コレ食え!』みたいな感じで。
それもらって食べたら血糖値あがって復活して走れたんですね。それで2年目に参加した時に『あのジェイミーってやつに会ったらスニッカーズ返してやろう!』って思ってスニッカーズもっていったんです。そうしたら会えて『おぉ!』ってなって『去年はありがとう』ってスニッカーズ渡して…」
― いい話ですね〜
「そういう話が結構あって。スペイン人って英語はあんまり通じないですけど、なんか心は通じ合うんですよ。顔は見てもわからんけど、走り方見てたらわかる、とかね」
― 走り方で?
「何時間もずっと追いかけてたりするんで、あの走り方覚えてる!ってなるんです。ずーっと見てたら覚えますよね(笑)」
― なるほどなるほど(笑)
「同じような話で、僕、毎年ザックに鯉のぼりつけて走ってるんですね」
― ほぅ。鯉のぼりを。
「世界のレースに出るときは鯉のぼりつけるようにしてるんです。日の丸でもいいんですけど、日本の男の子の象徴は『鯉のぼりだ』って思って(笑)。
いつも真鯉と緋鯉と子鯉をつけているんです。で、2つは誰かにプレゼントするんです」
― レースで出会った人に?
「はい。それで覚えられたりするんですけど、今年のサハラマラソンのオーバーナイトステージで鯉のぼり紐が切れてなくなったんですよ」
― あらあら…
「夜だし、風も吹いてるし、見つけられないなぁとあきらめてたんですが、翌日デンマーク人が『これオマエのだろ!』って持ってきてくれたんです」
― その人が走ってる時にみつけて?
「そうです。拾って周りの人に聞いたら『これは日本人のアイツのだ!』ってなったと思うんですが…(笑)」
― は〜。世界の人と仲間になれるんですね。
「そうですね。そういう話がいっぱいあります」
― そういった人とのつながりも含めてレースの苛酷さと天秤にかけても…
「そうですね。また出たい、また会いたいってなりますね」
― かなり色々おうかがいしましたが、今回は東海道ウルトラ・マラニックの件でも取材に来たんですがご説明いただいていいですか?
「はい。東海道五十三次を、今回は五十七次を走りましょうという企画です。
去年のサハラマラソンを走ったメンバーで『ステージレースってやっぱりめっちゃ面白いよね〜』という話になったんです。こんなに友達もできるし。
ただ、サハラマラソンに行こうと思ったら60~70万円かかるんですよね。前後合わせて2週間くらいは休まないといけないし…」
― なかなか普通の人には難しいですよね…
「これを日本で手軽に楽しめるステージレースってできないかな?っていうのをみんなで考えて、日本には『東海道』というすごいポテンシャルの高い、砂漠はないけど400年も続く街道があるじゃないか、と。そのメンバーの1人が東海道五十三次を走ったことがある…と言い出して」
― すごいですね(笑)
「東海道ってすっごい歴史が残っていて、枚方宿もそうじゃないですか。
走ったメンバーがそれぞれの宿場町の方が皆さんおもてなししてくれて、とてもよかったと言っていたんです。
じゃあ2020年の東京オリンピックの頃には、東京オリンピックを見に来た海外の人たちが東海道をずっと走って京都や大阪や伊勢に行くような、そんな一本につなげるステージレースを作ろう、ということになって。
それでサハラマラソンのメンバーが中心になって立ち上げたのが東海道五十三次ウルトラ・マラニックなんです」
― そういう経緯があったんですね。
「はい。週末に必ず一泊するんです。
地域と交流して、7月は静岡の鞠子宿(→Wikipedia)というところで400年前から続いているとろろ汁をいただいたんですね。山芋すって麦ごはんにかけるという。そこのお店の前の駐車場にテントを張って皆でキャンプをして、夜は地域の人も招いてとろろ汁を振る舞って大宴会をして…という」
― 地域の人も招くんですね。
「はい。去年は京都の三条大橋で終わったんですが、今年は11月に草津から大阪城に行くんです。ですので枚方宿も通るので、枚方市役所ともお話させてもらってます。
宿場町をチェックポイントにさせてもらってスタンプを押して、地域の美味しいものを食べてもらうというイベントなんで」
― 全部参加しなくてもステージごとの参加できるんですよね?
「そうです。枚方を通る回だけ参加していただいても全然構いません」
― このインタビューを読んだら楽しそうだな!と思う人が多いと思うんですが、やっぱりしんどいことはしんどいですよね?
「しんどいです!」
― えらいハッキリと!(笑)
「はい(笑)。ただ、しんどくないと楽しくないんで。
東海道五十三次ウルトラマラニックに関してはランナーじゃなくても参加していただける設定にしています。というのは、江戸時代の旅人は一日十里、一里4kmですから40キロ一日歩いてだいたい12日〜15日かけて江戸〜大阪・京都を歩いたと言われているんですね」
― そうなんですか。
「このイベントも基本的に一日十里、40kmほどに設定しています」
― 江戸時代と同じということですね。
(東海道五十三次ウルトラ・マラニックの様子その3)
「はい。それを15日かけて東京日本橋から大阪城までを歩くという設定にしています」
― なるほど。
「昔はもちろん舗装もされていなかったし条件は違いますが、当時の方たちと同じ設定にしているので、当時の人達と同じ気持を味わってもらえるようには考えています」
― 歴史も身体で感じながら歩くんですね。
「そうです。結構歩いてみたら枚方ももちろんいいですが、他の宿場町も素晴らしいんですよ」
― 東海道五十三次って、個別の宿場町はほとんど知らないです…
「そういう方がほとんどだと思います。東京の日本橋を出たら、まずは品川宿があるんです」
― 品川にも宿場町があるんですか?
「大都会のイメージですけど、品川にも枚方みたいに宿場町がひっそりと残っているんです。
この東海道五十三次ウルトラ・マラニックでは、江戸時代の旅人が経験していたような負荷をしっかりかけて、へとへとになって宿場町についたらおもてなしを受けて、みんなで宴会をして、一泊寝て、翌日『来月また会おうね!』と言って別れるというものになります」
― 最後に読者の方にメッセージをお願いします。
「ステージレースって抵抗あると思うんです。最初行っても選手同士仲いいから溶け込みにくいと思うんですけど、一日10時間とか歩くとみんな一気に仲間になるんで、ぜひ一度参加してみてください」
― ちなみに…枚方についてどうですか?
「僕はずっと枚方育ちで今も自宅は枚方です。学校も杉中、津田高ですし、枚方への郷土愛は強いです。昔は王仁公園のあたりに住んでいたので、山も川もあり歴史もある枚方が好きです。今回の東海道五十三次、ウルトラ・マラニックは11月22日に枚方宿を通過する予定ですので、ぜひ応援していただけたらと思います!」
杉村さん、インタビューにご協力ありがとうございました!
そんなわけで、杉村さんが一体どんな方なのかお分かりいただけたでしょうか。
個人的に響いたのは、何歳からでもチャレンジするのは遅くないといったお話にくるものがありました。
また、枚方を通るという東海道五十三次ウルトラマラニックも気になりますねー。
この記事を読んで、オレだって頑張れる!という方はぜひぜひ今年の東海道五十三次ウルトラマラニックか、来年のサハラマラソンにチャレンジしてみたりとか…いかがでしょうか。
それにしても枚方にはまだまだ隠れたすごい人がいるんだなぁと実感しました。
もし、オレは世界に誇れる経歴なんだぜ!とかあの人マジすごいチョ~ウケる、みたいな方をご存知の方がいらっしゃいましたら、情報提供していただけると幸いです!
まぁとりあえずはひらかたハーフマラソンからでもランニング習慣…いかがでしょうか!
今からでもまだ遅くないはず!…ですよ。
◆関連リンク
株式会社アディック 公式サイト
東海道五十三次ウルトラマラニック 公式サイト