枚方市民病院あたりから平安時代の邸宅跡がたくさん見つかったそうです。
↓ニュース記事
産経関西
建物跡が見つかったのは『禁野本町遺跡』という遺跡で、百済王氏に連なる有力者と見られる者らの約50棟の邸宅があったことがわかったそうです。リンク先に遺跡の写真がありますが、写真の向こう側に見えてる建物が枚方市民病院。
↓地図だとだいたいこのあたり
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以前は「近畿財務局枚方合同庁舎」があったところ。今現地に行っても塀で囲われてて何も見えませんが、ここのストリートビューを見てみるとニュース記事の写真にも写ってる枚方市民病院の煙突みたいなのと同じものが見えるのがわかります。
そことはちょっと離れますが↓も禁野本町遺跡。
これは枚方市民病院前の道路を6月25日に撮ったもの。ここも発掘調査が行なわれています。
6月6日時点でははこんなんでした。発掘するなんて全然しらなかったのに定期的に写真を撮っていたという奇跡。
この近くにある説明板。(クリックで拡大すれば文字も読める大きさになります)
去年設置されたばかりのこんな看板も。住居群の南北方向に通っていた道路と、中宮にある百済寺跡の伽藍の中軸線は一致するのだそうな。ここに建物群のことが書かれてるということは邸宅跡がある事自体はだいたいわかってたんですね。
百済寺跡は禁野本町遺跡から500メートルほど南にあります。
枚方を拠点にしていた百済王氏(くだらのこにきし)は天皇の外戚としてかなり力のある一族だったそうです。「きょうは何の日」をやり始めるまでカズマ@ひらつーもそんなこと全く知りませんでしたけども。
まだまだこれからの発掘調査でもいろんなことがわかっていくんでしょうね。
関連リンク
・禁野本町遺跡 枚方市役所
・財団法人 枚方市文化財研究調査会
・大阪府枚方市文化財情報 枚方市役所