枚方の古い写真シリーズです!
最近アップしたイズミヤ周辺の古い航空写真やイズミヤオープン時の写真につづき、1948年(昭和23年)というさらに古い年代の枚方市の航空写真のデータをいただきました。
こちら!
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米軍が撮影したものだそうです。
わかりやすいように現在ある施設名を入れてみました(★印の位置)
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さらに詳細まで見れるように四等分します。(クリックするとだいぶ大きく表示されます)
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まず左上部分。
現枚方市駅や禁野周辺。枚方市役所周辺やイズミヤ枚方店周辺は完全に田んぼです。駅からイズミヤ枚方店の方に向かったときに渡る天津橋(あまつばし)はまだなく、現在と違う位置に橋がかかってます。この橋は過去の広報ひらかたに写真が載ってまして…
写真で見るひらかた今昔(PDF) – 広報ひらかた平成23年7月号
現在と比べるとビックリするぐらい弱そうな橋です。
↓つづいて右上部分。
中宮や堂山あたりです。現国道1号線もまだない(1966年開通)ので、現在エディオンやジョーシン、セガワールドなどがあるあたりにも何もありません。一つ気になったのは堂山公園のところで、何か施設があるように見えるんですが何なんでしょうか。
↓左下部分
山之上や香里ヶ丘など。五常小学校周辺も山みたいになってます(枚方公園駅から香里ヶ丘へつづく枚方新香里線ができるのは1957年)。
↓右下部分
村野駅や郡津駅など。右上ぐらいにある十字路が現在の「村野浄水場北」交差点です。村野駅西側は現在でもけっこう田んぼが残ってますが、東側はこの時代に比べたら現在はかなり宅地化が進んだことがわかります。出鼻橋付近も今に比べると何もないように見えますが、そのすこし北ぐらいにある墓地は当時からあったようです。
現在の航空写真(Googleマップ)とも見比べてみてください
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変化してるところも多いですが、道路の向きなどは現在もけっこうそのままで、こうして何十年も前と現在が「繋がってる」んやなーと考えるとなんだかワンダフルな気分になります。上記以外にも現在との違いをいろいろと探してみてください。
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ついでに、米軍が撮影した枚方の航空写真というと今回いただいたものの他にも「国立国会図書館デジタルコレクション」に掲載されているものもあるのでご紹介します。
Damage assessment photo intelligence reports of Far Eastern targets filed by area and contain all available information on the area: Osaka Report No. 3-a(27), USSBS Index Section 7 国立国会図書館デジタルコレクションより
1945年3月に撮影されたもので、枚方製造所・禁野火薬庫についての「米国戦略爆撃調査団」によるレポートになってます。
写真に数字がつけられていて、「どの建物でどんな作業が行われてるか」ということまで書いてあります。1945年3月ということはまだ終戦前ですが、終戦前から枚方製造所などのことをかなり詳しく把握されていたということでしょうか。(資料を読み間違えてたらすいません)
「Excellent rail facilities(優れた鉄道設備)」という言葉も見られます。枚方製造所から津田駅まで(現在の「中宮平和ロード」)に敷設されていた火薬・砲弾運搬用の軍用鉄道のことですね。
などなど、こういうレポートが10数枚掲載されてるので興味がある方は国立国会図書館デジタルコレクションで見てみてください。