すっかり世間は赤と緑とシャンシャンシャン(鈴の音)…
…と思ったら、昼間は暖かかったりして、なんだか調子くずれるなぁ
(まだ秋物の服でうろついています)
時の流れは早いもの。
気がつくと、あちこちに年末感が出てきてて焦る今日このごろです
そんなほんちゃん@ひらつーがお送りするシリーズ企画。
「津田サイエンスヒルズ見せて!」
(シリーズ概要はこの記事をチェック!)
(過去の「津田サイエンスヒルズ見せて!」シリーズはこちらから)
20を超える企業・施設が集う場所、「津田サイエンスヒルズ」。
そこには果たしてどんな技術やお仕事があるのか…?
第8回目はここです!
「株式会社 伸和製作所」さん!どどーん!
サイエンスヒルズ内での場所は、この辺りになります。
ちょうど真ん中あたり、公園の横にあります。
「充実した設備と自然環境の中で生まれた創意、工夫に
チョッとスパイスの効いた匠の技でお客様のニーズにお応えします。」
と話しています。
チョっと効いたスパイスって、何味だ?
さぁー、今回はどんな取材になるでしょうかねー!?
(スパイスって聞いて、お腹へってきた)
では、いってきまっす! !
1:「伸和製作所」って、どんな会社?
2:育ててくれたのは“時代”と“縁”?
3:仕事するなら、面白くないと! 〜まとめ〜
今回お話を伺ったのは、能美さん(代表取締役)と日高さん(管理部部長)です。
ほんだ
ホームページには30年目と書いてあるのですが、元々枚方におられたのですか?
能美さん
ここに来る前は、茨木と摂津に工場がありまして、それらをまとめる形で枚方にきたのが2004年ですから…11年前ですかね。創業は摂津でした。
ほんだ
創業時はどんなお仕事をされていたんですか?
(メガネかけるの忘れてました)
能美さん
始めたときは、今の小規模な感じでした。やってる内容は、油圧部品や船舶用ディーゼルエンジン部品の製造や組み立てです。
油圧部品…力を伝えるものとして油を使っている部品。(ショベルカーの腕についている銀色の伸び縮みするところをイメージ!)油の圧力=“油圧”を上げ下げすることで大きな機械を動かしています。長所は比較的小型でも大きな力が出せたり、油が潤滑するので摩耗がすくない、などがあり、モーターや弁などいろいろな機械の中に使われています。
船舶用っていったら、大きいものもあるのでは?
能美さん
一番重いものだと、一つで100kgを越えますね。まぁ部品なんで、小さいものから大きいものまでありますよ。
(工場には、いろんな部品がありました)
ほんだ
へー!では、能美さんはずっとこの仕事をされてるんですか?
能美さん
いや、大学卒業してまずは証券会社に入りましてね。しかしまぁ、父親がこういう系統の仕事をしてたもので、いろいろあって30歳の時に独立しました。
ほんだ
証券会社ですか!?
能美さん
それはそれで面白かったですよ。まぁ当時は今みたいな金融機関というよりも、“株式を扱うようなところ”というイメージでしたけど。
(窓から見える景色がきれい)
ほんだ
そこから30歳での転職、どうでした?(ほんだも30歳で転職したので、つい気になって…)
能美さん
まぁいろいろと焦りますよね。私の場合は転職せざるを得ない状況でしたから、ただただ走る。目一杯走る。…で、いろいろありましたけど、今思い返したら楽しかったかな、僕の人生としてはね。まぁ周りに迷惑はかけたと思いますけど(笑)
ほんだ
(笑って振り返れるように頑張ろう、と思いつつ…)
その時代といえば、バブルもあったし、いろいろあったでしょうね。
能美さん
いや、バブルのときは33〜4歳の小僧でしたから、まだあんまり関係なかったですね(笑)その頃から考えると、徐々に従業員も増えてきましたし…今の従業員は平均年齢が30歳台半ばです。ちょうどいい頃合いでしょ?
(いろいろ振り返る能美さん)
ほんだ
30代といえば、体力もありますしね。
能美さん
いやー、どうでしょうかね。今どきの働き方って「いい頃合いに働いて、自分のしたいこともして」でしょ。それと比べて、うちで働いてくれてるベトナムの研修生はみんな働きますけどね。まぁ働ける期間が決まってるのも関係してるでしょうけど。
ほんだ
向こうの人からすれば、技術を習得するのも大きな財産ですしね。
能美さん
でもそれはここ2〜3年の話ですよ。
ほんだ
と、いうと?
(奥で日高さんが話を聞いています)
能美さん
それまでは、たとえ日本で仕事を覚えても、国に帰ったら仕事がなかったんです。でも最近では日系企業の進出があって、これまた人気があるんですよ。日本から帰った人は日本語も出来たりするので、そういうところに入って働くんですね。
ほんだ
なるほどー!ベトナムの人には何年くらい前から来てもらってるんですか?
能美さん
10年くらい前から来てもらっています。で、ずっと働きぶりを目の当たりにして「日本人に近いなぁ」と思っていました。
ほんだ
どのあたりが近いと?
能美さん
遠慮深いところ、ですかね。一番大きいのはそこです。あと、人懐っこくて。お金に執着もするけど、遠慮もある。ちゃんと、義務を果たしてから権利を主張するんですよね。
(どんどん話が進みます)
ほんだ
なるほど。
能美さん
で、3年前にはベトナムに工場を建てたんです。
ほんだ
え!ベトナムにですか?
能美さん
えぇ、やっとこさ順調になってきたところです。向こうでは、日本で受注した仕事の中でも「小さくて数が出るもの」を製造してます。
(パンフレットを見ながら教えていただきました)
ほんだ
小さくて数がでるもの?
能美さん
例えばコマとかですね。数は数千個とか1万個、とか。
ほんだ
では、この(枚方の)工場では数の少ないものとか大きいものを作っているんですか?
能美さん
そうですね、数で言うと数十〜数百とかでしょうか。例えばフォークリフトの部品や、船舶用のエンジン部品なんかがありますね。あと、最近はブリヂストンさんと一緒に特許を取った仕事もありますよ。
ほんだ
特許ですか?
能美さん
プリンターの中に入っているゴムを使った部品の金型なんです。それが非常に難しくて。一緒になってこんなんしましょ、あんなんしましょ、と進めていって仕上げた仕事です。
ほんだ
それは今までとはジャンルの違う仕事ですね!その仕事の話がきたのは、どんな経緯で?
能美さん
他から紹介された話でして、難しい仕事でしたけど、どうやら大きな需要がある仕事みたいで。先方さんにしてみたら「そんな発想なかったわ」という感じだったようで。とてもいい仕事ができました。
ほんだ
ここには、要望を叶える技術があった訳ですね。
能美さん
いやいや…しかしそういう仕事って他にも結構あるんちゃうかなと思うんです。ここは油圧機をメインにしているからこそ必要な技術があって、よりよい精度を出すため日々模索している。それが要望にハマったということです。
ほんだ
難しさを克服したということですか?
能美さん
今でもまだ試行錯誤の途中ですよ。そうしながらより“楽に”、よりよいものを作る。その“楽”が難しくて模索するんです。そうするうちに、いろんなもの…例えば刃物も計測器も絡んでくる。うちの会社ではそれぞれの専門屋さんが多いので、なんでもうちの中で作ってしまいます。
ほんだ
なんでも、ですか?
(まっすぐ工場内には通路が通っています)
能美さん
自分のところで機械を作れるんです。あと、作ったものを計測する環境を独自で整えている。データを出せと言われたらすぐ出せるし、これまでのものも数字はすぐ出せる。生産機も計測器も値段は変わりません。なので生産機をそろえたいと思うところが多いかもしれませんが、うちは計測器もそろえながら進めています。
ほんだ
こだわりですね!!
(計測室にもお邪魔しました)
能美さん
元々、そういうことを要求される仕事が多いんですよ(笑)初めてのものがよく仕事になるもんで、日々チャレンジしっぱなしのスタッフもいますよ。
ほんだ
ここまで30年、チャレンジの連続だったんですね。この30年で大変だったなぁということはありますか?
能美さん
枚方にくるきっかけになった話なんですけど、10年ちょっと前に中国へ仕事を出すのが流行った時期がありまして。どんどん中国に仕事が流れるけど、どうしても細かいものは残るんです。大量でなくて少量だけやって、とか。そういった仕事を、機械渡すからやってくれというのがここに来た話の始まりで。
(工場の中でもいろいろと話が出てきます)
ほんだ
へぇー。
能美さん
当時はいろいろ場所を探したけど、どこも採算が合わない。そんな中ある会社の人に相談したらここを紹介されたんです。
ほんだ
わー、ちょうど時代と縁が重なったんですね。
能美さん
さらに、7年ほど前には中国で造船バブルが起こってまして。そのときに取引してたお客さんから「機械の面倒は見るから建物を建ててほしい」という要望があって造ったのが第二工場なんです。
(こちらは第二工場の中)
ほんだ
これも時代と縁なんですね!
能美さん
世の中、いろんな会社があるなぁと思いましたね。津田のこの場所も、元々はうちみたいな会社は入れなかったのに、途中から生産設備を持った企業が入れるようになった。そのタイミングとうちが探している時期がちょうど重なった、と…ほんまに時代と合致しながら、ここまでいい具合にこれました。
能美さん
最終的に、僕は65歳で一線から引こうと思ってます。今年60歳で息子が30歳。ええ頃合いじゃないかと(笑)こっちもまだ元気だから、なんとかフォローしながらいけるんじゃないかと思ってます。
ほんだ
その後はどうされるんです?
能美さん
そうですねー、何か創りたいですね。せっかく機械を作る能力もあるし、設備もあるし。いろいろそろっている状況の中で毎日バタバタするのはもったいないなぁ。
ほんだ
新しいものを作りたい?
能美さん
もちろん本業はやりながらですよ。ぼくと、あと数人のじいさんが集まったら何かできるだろうと(笑)
(日高さん、ちょっとびっくり)
ほんだ
いやいや!そうなると、何を作りましょうかね?
能美さん
何かせい!と言われたらなんでも作れますねん。でもそれでは面白くないし、何か考えたいですね。集まって何しよー…って考えてたら、出てくるんちゃうかな。
ほんだ
飲み屋さんで話してたら出てきそうですね(笑)ここまで聞いていてどうです、日高さん?
(急に日高さんに振ってみる)
日高さん
(急に振られてびっくりしつつ)いや、初めて聞きました(笑)私は元々メーカーにいたこともあるので、今の話は面白いなぁ、と感じています。
能美さん
面白くなかったら止めたらいいしね。ぼくはそういう考え方で…いつまでもやんちゃ坊主みたいなところがあるんで。
日高さん
発想力がものづくりや経営には大事だと思うんですけど、私はそのあたりが豊かではなくて(苦笑)番頭さんみたいな感じで…後ろから隠れながらついていきます。
(冷静な名番頭、日高さん)
ほんだ
確かに。能美さんは判断早そうですしね。
日高さん
早いです(即答)。
能美さん
ベトナム行こう!というのも1週間かかってない。小さいよりも大きめで始めよう!とか。
ほんだ
判断基準は?
能美さん
におい、と違うかな(笑)いろんな人に助けられ進んできた会社です。自分のところだけでは知識や知恵も限られる、そこで人の助けがあると、大きく変わります。
ほんだ
確かに。そうやって、いろいろな縁とタイミングの後にどんな新しいものを作られるのかが楽しみです。
(何作ってみようか…楽しそうな笑顔でした)
能美さん
まぁ、楽しく、ですね。面白くなかったら止めといた方がいいですよ。あとはそれに運があったら風が吹きますわ。
ほんだ
あとは、名番頭が居れば、ですね!(笑)今日はお忙しい中、いろいろとお話をお聞かせいただきありがとうございました!!
(会議室から見える景色と一緒に記念撮影)
船舶のエンジンなどを作っていると聞いて、いったいどんな雰囲気なんだろうとドキドキしながら望んだ取材でしたが、なんともキレイで明るい社屋にまずビックリ!そして、まじめな話の折々に茶目っ気たっぷりで話してくれる能美さんにすっかり魅了されていきました。
時代と縁に恵まれたと話しておられましたが、一貫して仕事に対して注がれた熱意と真剣さがその下支えになっているのは間違いないと話の中から感じることができました。「楽しくないと」と語る能美さんから、次はどんな一手が出てくるのかがとても楽しみです!
《おまけ》
◆関連リンク
・津田サイエンスヒルズ
・株式会社 伸和製作所