皆さんは貝工芸ってご存じですか?
貝工芸とは、白蝶貝や黒蝶貝、夜光貝など様々な貝の内側の光沢を持った真珠層の部分を切り出し、削るなど加工した素材を使用し制作する工芸品のこと。
去る2016年1月、枚方の茄子作に三代に渡って続いた貝工芸の工房が幕を下ろしました。
茄子作にあった工房の写真
その工房で作品を作られていたのが今回ご紹介する水田先生です。
私カトゥー@ひらつーが水田先生のご自宅におじゃまして作品を拝見させてもらってきました。
まずは作品をご覧いただきましょう!
庄野
赤坂
ここからは水田先生独自の作品です。
守口
枚方
水田先生の代表作のひとつ「東海道五十七次」は、歌川広重の代表作「東海道五十三次」を貝工芸の作品として日本橋から作り始め、その流れを汲み「伏見宿」「淀宿」「枚方宿」「守口宿」と五十七番目の宿場町までを14年の歳月をかけて完成されました。
ほかの作品も少しだけご紹介。
淀川三十石船
※光の反射が写り込んでいてゴメンナサイ!
淀川の往来のにぎやかさが伝わってきます。
平等院鳳凰堂
※光の反射が写り込んでいてゴメンナサイ!
厚さ22ミリの中に広がる世界の立体感
抜粋というかたちになってしまいましたが、水田先生は数多くの作品を残されています。
鍵屋資料館には「淀川三十石船」が展示されていますので、ぜひ実物をその目でご覧いただければと思います。
― 東海道五十七次シリーズに取り組まれるキッカケは何だったんでしょうか?
ひらかた工芸展(→昨年の工芸展の様子はコチラ)に毎年出しているうちにネタが切れてきましてな…(笑)
風景画のようなものを作ってみようかと思ったが、今までと同じ手法で山や川を作っても違和感があるし…
そう考えていた時に、ふと、貝を粉末にしてふりかけたら、砂絵のような雰囲気でやれたらと思って。そしたらうまいこといって、これやったら風景がいけるわ…と。
東海道五十七次シリーズには随所に貝の粉末が
当初は東海道五十三次でもポイントだけを貝工芸の作品にしようと思ってたんやけど広重はそれでは意味がないんですね。だから、徹底的に広重に挑戦しようと思たんです。
― ひとつの作品にかける時間は?
人物の多いものなら半年くらいかかります。そればっかりにかかっている訳やないけど、簡単なものでも一ヶ月くらいはかかりましたなぁ。
東海道五十七次シリーズは毎年五点を目標に、ひらかた工芸展に合わせて作品を作っていました。もちろん四点や三点の時もあったけどもね(笑)。
「品川」の一部
毎年楽しみにしてくださっている方もいらっしゃったので、長いことはかかりましたが、なんとか完成させることができました。
― 最初から五十七次を全部やるつもりで始めたんですか?
はい。額縁もやるって決めたときに全部一括で購入しました。額縁の生地もまちまちになりますし、統一せんと。額縁屋に行った時に、これはいい感じになるわと。
作る前は広重の書物をたくさん読んで、実際に何箇所も現地へ見に行きました。
作品の中で、松の木とか長いものを作るときがあるんやけど、貝は絶対につなげないんです。象牙とか木ならつないでもわからんようにできるんやけど、貝だけは絶対に違いますねん。
ポキっとおれたらくっつけたらわからんようになるように思うんやけど、光り方が変わるんですなぁ…
作品に使われる白蝶貝は、大きいものだと成人男性の手のひら以上の大きさです。
― 歌川広重の五十三次のあと、その流れを汲んで作品を続けるプレッシャーは?
それは当然有りました。ですので、歌川広重作品と比べても違和感のないようには考えましたね。
五十三次の先の宿場町には写真を取りに行って、その土地のものを活かそうと思って、守口宿では守口大根を漬けている様子を作品に加えたり…という工夫はしました。
― 日本橋から作り始めて、どのあたりで五十三次後も考え始めたんでしょうか?
五十三番目の後は、作品を三分の二くらい作ったときくらいから考え始めましたな。
東海道シリーズはベースを含めて10ミリの厚さなんですわ。ベースを抜くと、作品はわずか7.5ミリの奥行なので、それをいかに活かして立体感を伝えられるように工夫しています。
そのあたりは日本橋を出発してからだんだん経験を積んで上手になってきましたね。
― 枚方に工房を開かれたのは水田先生のお祖父様だったんですよね?
そうです。おじいさんは元々は柳行李の地場産業の指導をしていて、高知県の中村を訪れたときにサンゴの玉に出会って、これはキレイなもんやなぁ〜ということで、サンゴの玉を作るようになったんですわ。
サンゴは真っ赤が流行る時とピンク色が流行る時とあったんです。値段の変動がキツかったもんやから、サンゴがシロチョウガイに替わってね。
お庭にはたくさん積まれた白蝶貝が
それで玉を作ってたら、貝の分厚いところしか玉ができないでっしゃろ?
五・六個とったらそれで終わりなんで、余った貝の部分で帯留めを作り始めたのが始まりですわ。
― なるほど。
そこから貝工芸を始めたおじいさんにミキモト真珠の創業者、御木本幸吉から「シカゴ万博に出展する作品を貝工芸で作れないか?」と声がかかったんです。真珠と貝を使った作品を5〜6年かけておじいさんは作ったんです。
当時の新聞のコピー
― そういった数々の歴史のある工房をしまわれるという決断はやはり…
そりゃあさみしいですわな。ただ、子どもに無理に継がせようとはいっぺんも思ったことありません。やっぱり貝工芸で食べていくのは難しいからねぇ。
― もし「水田先生に技術を習いたい!」という人が出てきたらどうされますか?
それは教えられる範囲では教えますよ。
ただ…貝の加工は機械もたくさん必要やし、工房がない今は、なかなか難しいところがあるかもわかりませんなぁ…
工房にはたくさんの機械が並んでいました
― 最後にひとこといただけますか?
枚方にもこういう工芸があったんや、ということは知っておいてもらえたらええなぁと思いますね。
なかなか作品を見ていただく機会もないけど、またそういう会を設けたら、ぜひいっぺんご覧いただければと思います。
インタビューは以上になります。
水田先生はとても温和な口調で、丁寧に質問に答えてくださいました。
ご紹介した作品はほんのわずかですが、また枚方の皆さんにもご覧いただく機会は設けるつもりとのことなので、その時はひらつーでもご紹介しようと思います!
◆関連リンク
・第十八回ひらかた工芸展に行ってきた【ひらつーレポ】
・鍵屋資料館HP