枚方出身の熊谷まどか監督による映画「話す犬を、放す」が本日3月25日よりテアトル梅田にて公開されるようです。
映画『話す犬を、放す』 公式サイト
『話す犬を、放す』はつみきみほ(→Wikipedia)さんが主演の映画で、母親が幻覚が見えるというレビー小体型認知症にかかってしまったところから始まるお話。詳細は上記リンク先をどうぞ。
今回は上記映画の監督をつとめる熊谷(くまがい)まどかさんが枚方出身という情報を、リビング京阪さんより教えてもらったので、リビング京阪さんと一緒に監督にインタビューしに行ってきました。
なお、リビング京阪のサイトにもひらつーとは違ったかたちでまとめられていますので、ぜひぜひ御覧ください。
小学校3年生の時に兵庫県川西市から香陽小学校へと転入し、そのまま東香里中、香里丘高校へ進学。同志社大学を卒業後、CMの製作会社に入社し、そこで知り合った旦那さんと27歳の時に結婚し、それを機に東京へ。香里団地の現在が気になっているとのこと。
夫がその製作会社の同僚だったんですが、辞めずにずっと働いている夫がどんどん面白い仕事をやっているのを見てちょっと悔しくて。
そのもやもやを抱えたまま、そのうち自分のPCで映像を編集できる時代が2000年代初頭にきました。
じゃあ私にもできるかも!映像を作りたいなって思って、毎週2回夜に行われている映画のワークショップに参加することになって。
そのワークショップで友達も出来て、そこの実習作品で作ったのが『ぴあ』の賞に入っちゃって、ちょっと調子にのっちゃったって感じですね」
100%自分発信だとなかなか作れないから、上映会に誘われたりとか、ちょっとしたお仕事に頼まれたりとかがあって、今までなんとか続いてきました」
目に見えないものが見えるって異常とされるじゃないですか?でも、よく考えたら映画なんて目に見えないものを作り出している虚業じゃないか、と。そういう考えもあって、私はそれが面白いなって」
― なるほど。
でも母がすごく健康な人だったので、母もいずれは亡くなるんやって、母も老いるんやって。そして老いるっていうのはいろんなものをはぎおとしていって、赤ちゃんに近づいていくんやなぁってすごい実感したんですね。
逆に昔はいろんなものを身に着けていく私を母が見守ってくれてたんやなって思って、今度は立場が入れ替わって私がお母さんを見る立場になってるんやなってのが、ものすごく素直に受け入れられました。
そうすると母に対するめんどくさかったなって気持ちが、気恥ずかしいくらいにお母さん可愛いな、とか好きやな、っていう気持ちになって。
自分自身の変化にもびっくりしたし、そういうことに気づく機会だったんだなって思ったんで、そういうことを書きたいと思ったんです」
― それはいつごろのことですか?
それは飼っていた犬が1月ごろに亡くなったのでペットロスかなぁと思ってたんですが、犬が亡くなったこともあって、旅行にも行けることになったからうちの夫婦と両親で旅行というのを計画しました。
旅行の直前に、もし身体の調子が悪かったら問題なので大丈夫かな?と思って電話したら『身体は大丈夫やねんけどねぇ、散歩の途中で犬やら猿やら出てくるねん。お父さんに言ったら怒られるから言わへんけど、ゾウとかもいるのよ』とか言われました。」
― ぞ…ゾウ!
熊「たまたま私はレビー小体型認知症のことを聞いたことがあったから、もしかしたらそれちゃう?って思って。
でもやっぱ認知症って怖いじゃないですか?だから違う病気だってわかってほしい、ていうこともあって、とりあえずはよ病院行きって言って行かせたら、やっぱりレビー小体型の認知症だったみたいで。
結果として母がステンドグラスが好きやからわざわざ長崎の五島列島に連れて行ったのに、全くなにも覚えてないという事態に。」
― えぇ!それはなんとも!
これどないしよ?って旦那と長崎空港で皿うどん食べながら言ってたのが、2015年の5月です。
それからいろいろ検査とかして正式に判断されたのが同年8月。
どうしよって思う気持ちもあったんですけど、でもそんなに一気に、母が母でなくなるというわけでもないし、早めに見つかったということもあって、お薬で進行も緩和されてはいるから、『なんだ認知症ってそんな怖がることでもないな』って思ったんです。
どうしても認知症って聞くと絶望的に思うけど、そうじゃないんだなって。
そしてさっき言ったような、母は老いて、子供になっていくんやな、えらい可愛いな、っていう気持ちになったちょうどそのタイミングでシナリオの募集があったから、今これ書こうって思って書いたんです」
― だから映画を見てても、お母さんが可愛いんですね。
そこで母が『そこの人、座布団しいてはらへんの違う?しいてあげて?』って言って旦那が『いや僕しいてます』って言ったら、母が『いやそこの人!』って。いやそれポットさんやでっていったら『あらぁ…』って。」
― 言ったら気づくんですか?
こないだもパニクりながら電話してきて、『リビングのソファーで太った男の人が寝てて、帰らはらへんから』って。
それで、私がひとこと言ってあげるからちょっとその人と電話かわってって言ったら、電話のコードが短くて足りひんって。そこはリアルなんやって思いましたね(笑)」
ですが、元々脚本を書く時にある程度人を想定しないと私は書けないんですが、私が想定して書いたのは身近にいる小劇団の女優さんとかだったりします。
そして実際に映画にしようとなると、どなたにしようってなるので、プロデューサーとの相談になってきますね。
つみきみほさんは桜の園って映画があったじゃないですか。あれを見た時私はまだ大学生くらいで、年が近かったからキラキラした女子高生になんかすごい嫉妬心をかき立てられて(笑)
なんかこんなんちゃうねん!みたいな。いい映画かもしれんけどなんかちょっと…って感じやったんですが、この歳になって久しぶりに見ると、今度はあぁものすごい綺麗な映画!って思ったんです。
本当にそれをたまたま直前に見たのもあって。あの映画って演劇部の話じゃないですか?
劇中の主人公もキャラは違うけれどずっと演劇やってる人なので、それでつみきさんいいかも、と」
田島さんは仲間由紀恵さんが主演のNHKのドラマで美女と男子っていうドラマにお母さん役で出てはったんです。
なんかすごいキリッとしたイメージがあったんですが、たぶん田島さんはコメディとか、可愛い感じとか多分いいやろうなっていうのをずっと思ってて」
― 短編と長編ってどういう違いがありましたか?
でもやっぱり映画って長編撮ってなんぼなところがありますし、撮りたいというか、撮らなきゃって思ってたんですけど、これまでかけなかったんですね。
なので今回この題材がタイミングよく自分にふってきて、ちょうどシナリオの公募の時期にタイミングよくあったから、すごく勢いこんで書いたというよりは、書けちゃったという感じ」
私が全部やろうとしなくて、こういうのが撮りたいです!って手放してしまったほうがいいものが撮れるんじゃないかなって、最終日に気がついたんですよね。
ですので日々出来てないなって思うことが多かったんだけど、苦労したのは自分自身の有り様に苦労しました。
ちゃんと言わなきゃと思っていたんですが、ここは私はこういうシーンしたいと思っているんですが、どうですかね?って言えばよかったのかなって。コミュニケーションが……苦手だな」
『お母さんの城』感、洗練はされていないけどお母さんが手をかけて愛してきた家っていうのを美術さんに言いましたね。
監督って役割を決める係じゃないですか。ありとあらゆることをその場で即断しないといけないという、怖い係。
ただ、こうしなければいけないっていうのより、その場で早く決めないとっていうところに一生懸命になっちゃう。だから『いやわからん』って言ったほうがいいのかもしれなくて」
― 似た質問なんですが、枚方に思い出の場所ってあったりしますか?
あとはやっぱりひらかたパークは結構行きましたよね。はじめてのスケートはひらかたパークでしたし。
とりあえず菊人形が怖かったです(笑)あとはピーコックとかは懐かしいな。公設市場(スーパー)とか」
香里丘高校で出会ったことは大きい気がします。香里丘高校にはバンドとかしてる人も多かったし、大阪芸大に行く人も多かったし、きっとそういうことが好きな人が多かったんだと思います」
短編の時は一人称で自分の中に入っていくことを書いてたんですが、今回の経験で繋がる、みたいなことに興味がやっと外に向いてきたというか。
今書きたいと思っているテーマは思わぬところで人は繋がってるみたいなこと。それをお話にできないかと思っています。できればサスペンス的な」
自分ももう若くなくなってきて、つながりとかを意識しだした人に見てもらって同じ気持ちを感じてもらえると嬉しいかなぁと」
でもあんまりそれがないままに生きてきて、お母さんと私がつながってるんやって思った時に、じゃあ子どもがいない私とかはどこにつながってるんだって思う時に、私は映画とかが、どこかの誰かに届いてるって思いたい、というか信じたい」
― 最後に、読者さんへメッセージをいただけたらと思います
以上になります!
ちなみにインタビュアーは、まるで僕すどんのような書き方ですが、ほぼリビング京阪さんです(笑)
そしてそんな熊谷まどかさんが監督をつとめる映画「話す犬を、放す」は本日3月25日よりテアトル梅田(→公式サイト)にて上映開始。
興味が湧いたという方は見に行ってみてはいかがでしょうか。
ネタバレなんで詳細の部分は書かなかったんですが、前述のとおり認知症の啓蒙映画でもなく、色々と考えさせられるような映画でしたよ―!
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