本能寺の変の時の徳川家康最大の危機「伊賀越え」で家康が通ったのは枚方のどこ?【ひらかたクイズ】

通勤・通学途中に枚方のことがもっと詳しくなれる【ひらかたクイズ】コーナー!

今回のクイズはこちら↓

Q 本能寺の変の時の徳川家康最大の危機「伊賀越え」で家康が通ったのは枚方のどこでしょう?(答えは2つあります)

a.くずは
b.津田
c.尊延寺
d.磯島

ひらつー内正答率 60%

伊勢湾

答. bとcの津田と尊延寺です!

ソースは枚方市史第三巻のP18。

本能寺の変が起こり、明智光秀の裏切りによる織田信長の死を知った徳川家康は、その時にいた四條畷から急いで本国である三河(現在の愛知県東部)に戻ったそうです。

そのルートを一般的には「伊賀越え(→Wikipedia)」といいます。

ほとんど装備もなく少人数で行動していた家康にとっては明智光秀と争うわけにもいかず、家康にとって伊賀越えは最大の危機であったとも言われているんだとか。

そんな伊賀越えは、枚方市史によると津田村に住んでいた信長恩顧の人により津田→尊延寺→京都府綴喜郡へと道案内されはじまったそう。
その津田村の人がいなかったら今の歴史も変わっていたかも……しれませんね。

ちなみに枚方市史によると本能寺の変のことを本多忠勝は枚方にいる時に知ったそうです。
本多忠勝といえば戦国無双というゲーム好きではお馴染みの強キャラ。(三國無双派の人に説明すると、呂布的なポジション)
戦国無双好きとしてはちょっとテンションがあがりました(笑)

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