「東洋の魔女」と言われたバレーボールチームに所属していた神田好子さんは枚方に住んでいるそうです。
「東洋の魔女」は、1961年の欧州遠征で22連勝した日紡貝塚女子バレーボールチームにつけられたニックネーム。(→Wikipedia)
1964年の東京オリンピックでは同チームのメンバーを主体とした全日本チームで出場し、金メダルを獲得。ソ連との優勝決定戦では視聴率66.8%を記録し、スポーツ中継としては歴代最高記録なんだとか。
神田さんの旧姓は松村好子(→Wikipedia)さん。
ポジションはレシーバーだったそうなので、監督が考案した柔道の受け身に似た「回転レシーブ」をまさに体現されていた方。インタビューには「回転レシーブ」が誕生したときのことも載っていました。
神田さんは在住47年ということで、引退後30代の頃から枚方にお住まいになっている模様。
実は「東洋の魔女」率いるママさんバレーチームが枚方に存在していたようです。強そう!
広報ひらかたには当時の思い出などのインタビューが詳しく載っていたので、気になる方は読んでみては。広報ひらかたは市役所のホームページにてネットでも読むことができます。
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