20年前に開催中止となった枚方の花火大会を復活させ、今年で3回目となる「水都くらわんか花火大会」を主催する代表理事の井關拓史さん(38)。
第3回水都くらわんか花火大会
2024年9月15日(日)
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過去2回の開催で、1500万円の赤字を背負いながらも、「100年続く花火大会」を目指して奮闘する原動力はどこにあるのか。
後編では、爽やかで活動的な現在の姿からは想像がつかない井關さんの過去について語ってくれた。
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――大変な苦労をされながら、10年間も花火大会に取り組んできたのはなぜですか?
「僕が、なんで花火をやりだしたかっていうところの深い話をすると、実は、僕、中学生ぐらいから、うつ病なんです。
周りとうまく付き合えず、遊べる友達がいなくなって、どんどん一人になっていって。
高校時代は、学校は行ってましたけど、人としゃべった記憶がないんですよ。
社会に必要とされていない感覚がすごく強かった。
でも反面、僕は、何もできへんわけじゃないのにな、と思ってました。
僕、授業でノートもろくに取らずうつ向いて聞いているだけだったんですけど、数学のテストで100点取れたこともあったんで、能力は低くないな、とかって思いながら過ごしてた。
なんで社会は僕を認めてくれないんだろう、僕を必要としてくれないんだろうと、ずーっとモヤモヤしてたんです。
死にたいという気持ちもすごく強くて・・・。
今思えば自分が悪くて、その能力を周りにわかるようにちゃんと示さないと、わかってもらえないですよね。」
――大学で、和歌山から枚方に来た時はどんな感じだったんですか?
「高校を卒業した後の進路も定まってなかったんですけど、和歌山にいてもやることがないなと思って、大学に進学しました。
大学在学中に、飲食店のアルバイトから始めて、店長をやらせてもらうようになって、週6日働いてたんです。
店長の仕事は、社会に認めてもらいたいという思いでやったんですけど、それでも別に認められてる感はなかったですね。」
――卒業後、バーテンダーになったのは?
「僕、うつ病で不眠症だったので、夜寝れないんですね。
だからサラリーマンはできない。
自営業を考えていたけど、雇われる側の立場や気持ちは知らないといけないなと思って1年だけサラリーマンになったんです。
給湯器などを売る営業マン。
営業は向いていたみたいで、めちゃくちゃ売れたんです。4月入社で、7月に主任、9月に支店長にしてもらいました。
でも、1年と決めていたので、翌春に辞めて、バーをやりだした。
夜に寝れないから、夜働く仕事にしようと思って。
実は、僕お酒飲めないんですね。だからお店を人に任せて経営の方をやるようになりました。
その間もずっと死にたいな、でも死ぬのは怖いな。死にたいけど生きるしかないか、とか思っていた時に、花火の話をよく聞いたんです。
『社会に必要とされるっていうのは、仕事でお金を稼ぐことではない。
枚方で花火大会を復活できたら、もしかしたら枚方から必要とされる人物になれるのかもしれない』と思ってやり出しました。」
――花火をやり始めて気持ちは変わりましたか?
「2015年に初めて花火を上げた次の日、枚方市駅の前を歩いていた時に、すれ違う人を見て、『この人も花火見てくれたかも』『あ、この人も』と思った瞬間に、『俺、生きていけるかも』って思えたんです。
これで心が固まった。
それから活動を続けていくうちに、一緒にやってくれる仲間がどんどん増えた。
僕、ずっと友達いなかったけど、初めて仲間ができたんですよ。
準備作業のボリュームが地獄のようにあるので、自然と仲良くなりますよね。
中止したものをまたやるのかという声も一部ではあったんですけど、そんな声がある中をずっと突っ切ってきて、賛成派の人たちをどんどん巻き込んでいった感じですね。」
井關さんがたった一人で始めた花火大会の復活。
10年経った今、井關さんの周りには、大勢の人が集まる。
実行委員会のメンバーは、90人近くに増え、ボランティアの数は800人にのぼる。
「当日、実行委員会のメンバーは法被を、ボランティアさんはTシャツを着て活動するんですけど、暑さの中、死ぬほど汗かいてぎりぎりの状態で設営や誘導の対応をしているのに、心無い人から強い言葉を吐き捨てられることもあります。
僕が作りたい花火大会は、花火を見終わった人たちが、法被やTシャツを着てるメンバーに『今年もありがとう。帰りにゴミ落ちてたら拾って帰るわ』と声をかけてくれる、そういう世界観を作っていきたいんです。」
――この花火大会を枚方にとってどういう存在にしていきたいですか?
「枚方市民は、『枚方愛が強い』ってよく言われてますけど、『枚方の街の誇りは?』っていう話になると、ほかの地域から見たら『ひらパー』一択やと思うんです。
でも、ひらパーは、企業が運営している遊園地で、住民一人一人が何か努力しているわけではない。
一方で、例えば、だんじりとか、ねぶたとかの祭りは、市民が参加している。
街の伝統文化を自分たちの手で作っている人たちは、おそらくその祭り自体がその街のアイデンティティになってると思うんです。
ひらパーは、自分たちの手で作っていないし、アイデンティティになっていないはずなので、おそらく枚方市民に「自分の街の誇りなんですか?」って聞いたら答えられないんじゃないかな。
枚方の誇れるアイデンティティを僕は作るべきじゃないかなと思っていて、花火大会がそれになりうると思っている。
昔の花火大会の話をする人がこれだけ多いということは、これを自分たちの手で復活させて新しい花火大会として完成させることができれば、伝統文化として根付いていって、枚方の誇れるアイデンティティになるんじゃないかと。
だから、どこか花火大会のなかった街でポンと花火をあげるっていうこととは全然意味合いが違うと思っています。」
――枚方への熱い思いが溢れていますね
「くらわんか花火に来てくださっているお客さんを見ていると、『綺麗やったねー』だけじゃなくて、ちょっと涙しながら見ている人とかもいてるんですよ。
おそらく、昔の花火大会を思い出しながら、自分がお父さんに連れられて来てたのを、自分がお父さんになって子どもの手をひいてきているみたいな、自分の中でのストーリーを思い出しながら見る花火になっているんです。
昔のくらわんか花火は、おそらく30年くらいやっていて、13年あいたけど、そこから僕たちが10年やって、この先20年、30年と続いていけば『枚方と言えば花火大会』という風になると思う。」
――そのためには皆さんの協力が必要ですね
「そもそも花火大会を存続するためには、お金がいるっていうことを知ってほしいです。
最近では、有名な花火大会で、全て有料化しているところもある。
でも僕は、子どもたちには分け隔てなく見せてあげたいなと思うので、僕は、全て有料化するのは、なんか違う気がして。
毎年花火を見たいと思っているけど、まだ協力していない大人って多分めっちゃいてるはずなんで、この人たちが動けば存続しうるんですね。
子どもたちに背中を見せる意味でも協力してもらえたらと思っています。」
「WEBで募金」のバナーから、500円から寄付が可能
――今後はどう描いていますか?
「大阪市内や京都にインバウンドが集中して、オーバーツーリズムが課題になっている中で、くらわんか花火の日だけは、海外の方も枚方に呼べる。
東海道の宿場町の歴史も知ってもらって、花火をきっかけにして、枚方市外の方、インバウンドの方にも枚方を伝えられたらなと。
そんな側面から見ても、花火大会はやるべきだと思っています。」
――井關さんの思いが伝わるといいなと思います
「やはり、思いがつながることが大切ですよね。
僕らのくらわんか花火の活動について、小学校や中学校から声をかけていただいて、授業で話をしに行くんです。
自分たちが住んでいる街の花火大会をどうしたらもっとよくできるかと、小学生や中学生が考えてくれている。
この子たちが10年後、20歳とか25歳ぐらいになったら多分実行委員会に入ってくれると思うんですよね。
そういう若者が枚方市内の至る所から出てきた時に、僕はやっと次世代にバトンを渡せると思うので、そこまでは僕が頑張ろうと思っています。」
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