(市が発行しているガイドブック)
河内西国三十三所観世音めぐり。もうスラスラ言えますよ(ドヤ)
そんなすごいことちゃうで(笑)
城崎温泉寺など各地の寺院建立に関わった長谷寺(奈良県)の徳道(とくどう)上人によって養老2年(718年)に設けられたとされる「西国三十三所観音霊場」をもとに、大坂高麗橋の津田元治郎氏が発起人となり、寺院参拝の証を受け取る「札所」の詠歌に当時の北河内郡の寺院をあてはめたもの。由緒ある寺院として認められた「別格寺」を含む 38箇寺が枚方市、寝屋川市、交野市、四條畷市の4市に現存する。
枚方市役所 × 枚方つーしんで、枚方市内の知られざる文化財の魅力をお届けする文化財シリーズ!
今回は、枚方市と枚方文化観光協会が主催するイベント「河内西国三十三所観世音めぐりウォーク」の午後の部「枚方・御殿山編」です!
午前の部「枚方宿編」はこちら!
(御朱印ゲットだぜ!御朱印を集めながら枚方の歴史に触れてきた!河内西国三十三所観世音めぐり 枚方宿編)
枚方観光ボランティアガイドの会 田中さん
今回の「河内西国三十三所観世音めぐり」のボランティアガイド。幅広い知識で、わかりやすく解説をしてくれる。(枚方観光ボランティアガイド公式サイト)
枚方市役所産業文化政策課 川嶋さん
文化財コラボ企画のレギュラー。ひらつー読者の奥さまに頭が上がらない。座右の銘は「愛妻家と恐妻家は紙一重」。ラーメン座談会にも登場している。
枚方つーしん パイン
ひらつーの広告担当で、枚方生まれ枚方育ち。
大学では建築を勉強していたので、古民家や町屋についてちょっと詳しい。歴史は苦手。
みなさん、こんにちは。今回ガイドを務めさせていただきます田中です。よろしくお願いします。午後の部は枚方市駅から御殿山駅までの寺院と合わせて周辺の観光スポットをご案内したいと思います。
川嶋さん、午後も歩きですか?
当たり前や!「河内西国三十三所観世音めぐりウォーク」ゆーてるやろ!
やっぱりか。
こちらが天津橋にあるしあわせのモニュメントです。去年の7月にひらかたゆめのほしプロジェクトから枚方市に寄贈されました。枚方市PR大使の川崎麻世さんがデザインしたことでも有名ですね。
そう言えば、夏に…
(市駅周辺で一番温度が高いのは岡東中央公園前のベンチ!とにかく温度測りまくってきたより)
すどん@ひらつーと鐘を鳴らしましたね〜。
え!?
取材でですよ!!
そうか(笑)
住所 大阪府枚方市西禁野2丁目1-3付近
地図ではここ↓
ここの案内板に淀宿の方に出立していく風景が描かれています。また、この橋は現在のかささぎ橋より川上にあったそうです。
昔の人は、ここから淀まで歩いてたんか。すごいなぁ。
そりゃあ、車もバスも無いからなぁ。
では、かささぎ橋へ行きましょうか。
このかささぎ橋はカササギという鳥から名付けてられています。
カササギって、またマイナーな鳥ですね〜。
実はそんなことないんですよ。カササギは、中国の天の川伝説で牽牛と織姫が出会う時に、カササギの大群が橋のようになって2人が天の川が渡れるように鳥でもあります。
住所 大阪府枚方市新町1丁目6-27
地図ではここ↓
こちらが八幡神社です。
また、奥まったところに来ましたね〜。
地図ではここ↓
八幡神社には古い鳥居の柱が2本残っています。その柱には「摂津国島上郡磯島村」と書かれているんです。
え?摂津ですか?
江戸時代、磯島は摂津や高槻に所属していたんです。明治になってから河内の枚方に所属することになりました。
その証拠がこの鳥居の柱っていうわけやね。
この近くにある正光寺さんで、この辺りのことを伺ってみましょう。
住所 大阪府枚方市磯島元町5-7
地図ではここ↓
「みやまじや ひばらまつばら わけゆけば まきのをてらに こまぞいさめる」
御詠歌とは、仏教の教えを五・七・五・七・七の和歌と成し、旋律=曲に乗せて唱えるもの。日本仏教において平安時代より伝わる宗教的伝統芸能の一つである。五七調あるいは七五調の詞に曲をつけたものを「和讃」(わさん)と呼び、広い意味では両者を併せて「ご詠歌」として扱う。
住職さん:こんにちは。磯島のことについて少しお話しましょうか。昔、磯島は淀川の島で、中洲の方にあったんです。堤防ができると共に現在の場所に移動しました。
なるほど。島やったから磯島って地名になったのかなぁ。
そうかもしれへんなぁ。
住職さん:明治初期に神仏分離と廃仏毀釈(はいぷつきしゃく)で多くの寺院が壊されました。また、明治18年には淀川の堤防が切れ、大惨事となりました。「神も仏もない」心のよりどころを失った人々を救おうと「河内西国三十三所観世音」ができたんです。
なので、正光寺を4番札所とされたことと、生まれ故郷の人々の幸せに思いをよせた元治郎さんの偉業を、伝えていきたいものですね。
なるほど。磯島にはそんな偉人がいたんや。勉強になったな〜。
住所 大阪府枚方市磯島元町8-13
地図ではここ↓
「いはをたて みづをたたえて つぼさかの にはのいさごも じやうどなるらん」
住所 大阪府枚方市渚本町12-1
地図ではここ↓
そうやで?
この調子やと、牧野まで行ってまいますよ?
最後に行くお寺は三栗にある清傳寺さんやから、ギリギリ御殿山ちゃう?
三栗!?そこは、まーーきのっ!(まさかの小栗旬)
藤阪天神町に枚方市立旧田中家鋳物民俗資料館があるから、また今度行ってきたらいいわ!
この前、デンチュウ@ひらつーと行ってましたよね!今度行ってみよ〜。
そもそも渚院跡は惟喬親王(これたかしんのう)の別荘跡です。
惟喬親王?
惟喬親王は文徳天皇の長男で、天皇の跡を継ぐはずだったんですが、お母さんが紀氏(きうじ)の出身後ろ盾が弱く、異母弟で藤原氏の娘を母にもつ惟仁親王(これひとてんのう)が生後8カ月皇太子、9歳で清和天皇となり、惟喬親王は長男なのに天皇になることがなかったんです。
(春頃に見られる、渚の院跡の桜)
その後、惟喬親王は都から渚院に来て、在原業平と一緒に酒を飲んでは桜を見て、狩猟に明け暮れたそうです。
在原業平!聞いたことある!六歌仙の歌人ですよね!
そうです。そして在原業平がここで謳った歌がこちらです。
…なるほど〜。
絶対わかってないやろ!(笑)
…田中さん、解説お願いします(笑)
現代語訳すると「この世の中に、全く桜というものがなかったなら、春を過ごす人の心はどんなにのどかでしょうね。」という意味です。
「院の桜ことにおもしろし」として詠んだものですが、失意のうちにあって「のどか」でない惟喬親王の心境が読み込まれています。
なるほど〜。
それに、在原業平も皇族で、おじいちゃんが平城天皇です。皇族ということで惟喬親王とよく慰めあってたんじゃないですかね。
住所 大阪府枚方市渚元町9
地図ではここ↓
「はなをみて いまはのぞみも かうだうの にはのちぐさも さかりなるらん」
西雲寺は、寛永7年(1630年)超誉存悦上人が開創しました。
もとは小山寺という真言宗のお寺だったので、弘法大師の坐像が安置されています。また、5代の住職が小山寺から西雲寺と改称しました。
弘法大師って空海ですよね!
何した人か知ってる?
真言宗を開いた人ですよね!(ドヤ)
おっ!でも、そんなスゴいことでもないで(笑)
そして、御朱印もゲット!
住所 大阪府枚方市渚元町24-1
地図ではここ↓
「はるのひは なんゑんだうに かがやきてみかさのやまに はるるうすぐも」
住職さん:こんにちは。清傳寺についてお話しましょう。ここが本堂で、阿弥陀如来像や観音菩薩像、勢至菩薩像を安置しております。
住職さん:門の向かって左手の小さいお堂が地蔵堂です。
住職さん:地蔵堂にお祀りさせていただいてますのは腰折(こしおれ)地蔵尊像です。腰折と言う通り、腰からバッサリ真っ二つになっています。
え!?
住職さん:江戸時代、清傳寺の前は京街道で、近くに五本松という松がありまして、隣にお地蔵様がいらっしゃったんです。当時、その辺りには辻斬りが大変多く、ある時五本松の隣にいらっしゃるお地蔵様が真っ二つに切られていたんです。
お地蔵様まで辻斬りに!?
住職さん:ただ不思議なことに、その後、辻斬りが現れなくなりました。お地蔵様が身代わりに切られてくださったということで腰折地蔵としてお祀りさせていただいてます。
不思議な話ですね〜。
いろんなお話聞けて、三栗まで歩いて来てよかったやろ?
ですね!
住所 大阪府枚方市三栗1丁目5-14
地図ではここ↓
御殿山駅に戻って来た一同。
みなさん、お疲れ様でした。いかがでしたでしょうか。
知らないことがたくさんあって、おもしろかったです!ただむっちゃ歩いて疲れました!(笑)(スマホの歩数計によると18,224歩!)
文化観光協会では、他にも様々なイベントをしているので、ぜひご参加ください。ありがとうございました。
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