禁野本町遺跡から古代都市の路面みつかる

禁野本町遺跡から百済寺北門跡から北へ延びる道路が発見されたそうです。

これは百済寺跡公園にある建物復元イメージ図が描かれた板

禁野本町には禁野本町遺跡というものがあり、これまでにも230回以上発掘調査が行われているそう。
市のリリースによると、今回見つかったのは、7世紀後半に滅んだ朝鮮半島の古代国家「百済」の王族の末裔である百済王氏が築いたと推定されている古代都市の南北街路の路面と西側溝。

リリースより調査で見つかった南北街路の路面と西側溝

これまでの調査でこの街路の北延長部などが見つかっていたそうで、今回の発見で百済寺跡北門まで繋がって造られている確実性がより高まったといえるそう。

京都府立大学・菱田哲郎教授(日本考古学)は、

「禁野本町遺跡では碁盤目状に道路が配され、一定の計画性をもって古代に都市が造られていたことが明らかになっている。今回の成果により、南方の百済寺跡との間で中心軸になる道路が発見され、この都市計画の起点が百済寺であったことが確実になり、その造営者である百済王氏によることがはっきりとしてきた。都城や国府を除くと、このような都市計画は異例であり、ここを本拠地とした百済王氏の個性として評価できる」

とコメント。百済王氏の個性。

より詳細が気になる方は市のリリースからどうぞ!

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