ひらかたメモリーズ file.005 [2014年4月@光善寺]

枚方の人々の思い出を元にした、ほぼノンフィクションの読み切りエピソード集「ひらかたメモリーズ」、第5回をお届けします。

 ひらかたメモリーズ005


ひらかたメモリーズ file.005

2014年4月@光善寺 午後4時
 どうしても自転車に乗らない我が子を見下ろしながら、私は途方に暮れた。ほかのお母さんたちは子どもたちを自転車に乗せ次々と園を後にする。その背中を見送って再び視線を落とすと本格的な「イヤイヤ」が始まっている。

 どうしたものか。
 こんなことは今までなかった。

 その日は財布を忘れて迎えに来てしまった。金曜日は移動式のパン屋さんが来る日で、ほぼ毎週のように買っていたのだが、財布を忘れてしまったのでしょうがない。いつもは立ち寄るパン屋を素通りしようとすると「パン買って!」と駄々をこねた。

「お財布忘れたからまた来週買おうね」
「イヤ! 買って!!」

 虫の居所が悪かったのか、そこからギャーギャー泣き始めた。懸命の説得にあたるも機嫌が直る気配はみじんもない。むしろぐずりは増すばかりだ。

 客足が途切れたころ、パン屋のおじさんが様子を見かねて声をかけてくれた。

「今日は買われへんけどまた来てね」
「ギャー!」
「すいません~…」

 おじさんは少し考えてから車の運転席へ向かった。しばらくして戻ってきたおじさんの手にはあめちゃんがのっていた。

「パンじゃないけど、これあげるな」
 ありがとうございます。いえいえ…
「パンが欲しいの! ギャァアー!!」
 …ホント、すいません。

 せっかくのおじさんの好意にひるむ我が子ではなかった。目的のパンを得るまでは泣き叫ぶつもりだろうか? 

 私はしゃがみこみ、泣き止むのをパン屋さんから少し離れた所で待った。よくこれだけ元気に泣けるものだ、と感心してしまうほどの泣きっぷりだった。このパワーは一体どこから来るのだろう?

 あきれるほどの全力に付き合って30分くらいはそこに居たと思う。背中からやさしい声がした。

「ほんまはしつけ上アカンけど、一個だけサービスするわ」

 振り向くとおじさんがパンをひとつ持ってきてくれた。

「いえ…財布忘れてお金ないですし」
「いいからいいから。コレあげるね」

 ようやく一件落着だ。おじさんには申し訳ないが、来週は少したくさん買うことにしよう。私は胸をなで下ろした。
 

 ………が、まったく泣き止まない。

 というか、パンを受け取ることすらしない。もはやパンはどうでもよくなって、泣き叫ぶことに集中してしまっている。目的が完全に変わっている。

 これは自転車に乗せるのはムリだな…

 自転車を駐輪場に戻し、抱き上げて徒歩で帰ることにした。

「せっかくのご好意をスイマセン…」

 そう言っておじさんにパンを返した。おじさんはパンを受け取り優しく苦笑いしてくれた。
 

 パン屋が今月で終わると聞いたのは一週間後の金曜日だった。詳しい理由はわからなかったが、とにかく今月いっぱいらしい。最終日はお礼も兼ねてたくさん買って帰ろう、そう思って迎えに行った金曜日。
 
 帰り支度に時間がかかり、園を出た時にはパン屋の車はなかった。最終日だったので早々に売り切れてしまったのだろう。

「パンないねぇ」
 手をつないだ子どもの声がした。
「そうだねぇ。売り切れたのかなぁ」

 あのすさまじくぐずった日から自転車にスッと乗るようになった子が、パン屋さんの車がいつも停まっていた場所を名残惜しそうに見つめる。私もその視線の先を追った。

 金曜は年少の子どもたちはお昼寝布団を持って帰る日らしく、大きなトートバックを抱えたお母さん、そしてパン屋さんのいる風景が当たり前になっていた。ぽっかり空いたパン屋さんの車一台分の空白。

「パンないねぇ」
「そうだねぇ」

 パン屋のおじさんが来なくなってから、駐輪場を出てあの場所を通るたびに繰り返す、私たちのこの会話。
(おわり)

 


 

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