ひらかたメモリーズ file.009
2012年3月@枚方公園 午後9時
駅前のファミリーマートの店内に彼女の姿はなかった。待ち合わせ時刻は過ぎていたので、友晴は(いま着いた。どこ?)とメールした。打ち終えてポケットにしまおうとするとすぐに携帯が震え(今トイレ。もう行く~)と返信がきた。友晴は内容だけ確認し店を出た。
冷たい空気が一気にからだを包み込む。
三月に入ったがまだまだ冷え込む日が続いている。上着のポケットに手を突っ込んで首をすくめ、彼女を待った。
十年間どうしても忘れられなかった人に実際に会えると思うと、いやが上にも気持ちは高ぶった。ふいに身震いがしたのは寒さのせいだけではない。オレは緊張しているんだ。
自動ドアが開く音がした。
「ともはる~」
十年ぶりのその声を聞いただけで友晴は口角が上がるのを抑えられなかった。振り返ると夢にまでみたその人が、ベージュのダウンコートを身にまとい、少し笑っている。
「おぉ…、久しぶり」
「ホント、久しぶりすぎ!」
笑みがこぼれるのを止められなかった。
居酒屋にむかう道でも友晴は嬉しくてしょうがなかった。店に入り四人がけのテーブル席に案内され向かい合って座った。本当はじっくり彼女の顔を見たいけれど、緊張して目を合わすことができない。とりあえず注文を、とメニューを開く友晴の手は若干震えている。こんなにも緊張するのか…と自分を嘲笑してみたが、震えは止まらない。バレないようにメニューをさりげなくテーブルに置いた。
生ビールを二つ。
彼女は昔のバイト仲間と食事をしてきた後だったのでお腹は空いていないという。軽くつまめるように、追って小鉢を何品か頼み、おなかを空かせていた友晴は好物のホルモンを注文した。
彼女の悪い噂(もうあれだけの人数が証言しているのだから、ある程度は事実なのだろう)を年明けに友だちから聞いた。彼女は男にとって”都合のいい女”になっているという。妻子持ちのヤツと不倫しているという噂もあって、しかも相手は友晴も知る昔の友人だ。
それでも、ちょっと気を抜くと、友晴は舞い上がってどうにかなりそうだった。けれども、今日は楽しいだけの時間を過ごすつもりはない。聞いた話が事実かどうかを自分で確かめ、彼女に今までの想いを伝えるのだ。
ビールが先に届きジョッキを合わせた。
「カチッ」と分厚いガラスがぶつかる。
「カチッ」と分厚いガラスがぶつかる。
顔は少し変わったかな、と思う。
でも雰囲気は昔の、中学二年の頃の彼女を思い出させる。
でも雰囲気は昔の、中学二年の頃の彼女を思い出させる。
友晴と彼女は幼なじみだ。
小学校は別々だったが塾が一緒だった。
あれは国語のテストの日。彼女は遅れて教室に入ってきたが、いつもと雰囲気がまるで違う。分厚い眼鏡をしていた彼女が眼鏡をかけていなかった。それは彼女がコンタクトに変えた日だった。そして、たまたま空いていた友晴の隣の席に座った。
あれ? すごいかわいいやん。
そこから友晴の片想いが始まった。
塾へ行くのが楽しみでしょうがなくなった。彼女とも仲良くなり、帰りも途中まで一緒に帰るのが普通になった。同じ中学に進み、部活も誘い合わせたワケではなかったが一緒になった。家が近かったので帰りもよく二人で帰った。
幼なじみの仲良し。
それだけで友晴はよかった。
しかし中学二年になったとき、二人の関係を変える出来事が起こる。
部活のあと、部室で友晴は彼女と二人きりになった。そんなことはしょっちゅうあることで、取り立てて珍しいことでもない。ただ、そのとき彼女の口から出た言葉は、友晴をおおいに動揺させた。
「私、初めての相手は絶対友晴やから」
その時、自分がどう対応したのかハッキリ思い出せない。曖昧に返事をしたのか、照れて話を逸らしたのか…。それは彼女の告白だったのかもしれないし、単に早くオトナになりたいという思いから出た言葉なのかもしれない。その発言の意味する所を聞き返すこともままならないウブな友晴は、どうしていいのかわからなくなってしまった。その時から変に彼女を意識してしまうようになり、今までのように普通に話すことができなくなった。
彼女のことは好きだった。でも、だからといって、どうしたらいいのかわからなかったし、彼女が同じ部活の先輩に恋しているらしいということは友晴の耳にも入っていた。友晴はその先輩と仲が良かった。先輩のことも、彼女のことも好きだった友晴は、自分が身を引くことで丸く収めるという選択をする。
しばらくしてから彼女は先輩と付き合ったらしいと人づてに聞いた。それでも帰りは一緒に帰ったりしていた。彼女はその先輩とは長く続かず、そのあとも彼氏がちょくちょく変わるようになった。もちろん悪い噂もたった。でも、
「みんな色々噂してると思うけど、私、そんなんちゃうしな」
そう面と向かって帰り道で言われると、友晴は「うん」と彼女を信じてしまう。大好きな彼女がそういうのだから。それに彼女は彼氏の相談もしてくれた。それだけで友晴は特別な存在でいられたし、彼女に一番近い人間だと感じられた。
中三になった友晴は、人間関係に疲れたことや家のことなど面倒なことが重なり部活を辞める。そこから彼女と話す機会もなくなった。
卒業後も同じ高校に進むことになったが、そこでも彼女は彼氏をとっかえひっかえしているようだった。彼女の横にいる男は、本当に頻繁に変わった。そんな姿を友晴はとうとう見るに耐えなくなり、彼女との接点の一切を断った。
それでも友晴は彼女を想い続けていた。
友晴の中の彼女は、中二の仲良しだった頃の彼女がそのまま成長した姿で、心の片隅にいつも居た。だから他の女の子と付き合ってケンカをしても、「あの子だったらこんなことで怒らないのにな…」などと思ってしまう。
もちろんそれは、現実の彼女ではない。
友晴の心の中で成長した、ピュアなままの、彼氏をとっかえひっかえしない彼女だ。
彼女の夢もよく見た。それは中学の頃の二人の時もあれば、成長した二人の時もあった。彼女とは夢の中でもプラトニックな関係で、なんてことのない時間を過ごすだけだったが、彼女の夢をみたあとは幸福感に包まれた。そしてそんな夢を見た時は(彼女も今、オレのことを思ってくれてるのかも…)などと思ったりした。
心の中の彼女と現実の彼女、そして友晴。その夜の居酒屋には3人が同席していた。
その場にもう一人の自分が同席しているなど、目の前の彼女は知る由もない。
会話の合間を見つけて友晴は探りを入れた。共通の友人の名前に紛れて不倫の噂になっているヤツの名前もあげて「あいつとも全然会ってないわー。会ったりしてる?」とさりげなく聞いてみる。「あー、うん。今もけっこう仲良いよ」彼女はあっけらかんと言う。妙に歯切れがいいと思えるのは開き直っているからなのだろうか?
疑念はただの事実に変わっていく。
彼女は飲み過ぎると記憶をなくすこともわかった。足取りもしっかりしているし、お金もきちんと払うし、端からみればシラフに見えるらしい。でも本人いわく、記憶をなくすそうだ。そう話すと彼女は苦笑いした。
…それってやっぱり、みんなが言うように”都合のいい女”ってことなんじゃないの?
ひとつひとつ噂のモヤが晴れて現実の彼女が浮き彫りにされる。それは理想の彼女を現実の彼女が歪めていくような感覚だった。
ピュアな彼女を歪めないでくれ!
もっと彼女を大事にしてくれよ!
彼女を…
君を好きだった僕を、傷つけないでよ!
探りを入れたのは自分の方だ。それに、基本的には他愛もない話をしながら楽しい時間を過ごせた。だから彼女の終電時刻が迫ってきた時には「え? もう??」という気持ちだった。十年間も想い続けてきたのに、たった二時間半くらいでその時間を埋めることなんて不可能だ。物足りないと思うのも当たり前だった。
彼女は結局、ビール一杯と二杯目に少し口をつけただけだった。
駅の改札までの距離は短い。冷気が二人の体を別々に包む間、友晴は名残惜しさでいっぱいだった。まだ話したい。でも話せば話すほど友晴の中の彼女が現実の彼女に歪められていく。
改札を抜け彼女がホームに消えていった時、正直ホッとした。
次はあるのかなぁ…
自分のことなのに他人事のように思う。
また彼女と会うのだろうか?
会う”べき”なのだろうか?
でも、会った所で …どうすればいい?
気持ちを伝えるべき彼女はもうどこにも居なかった。上着のポケットに手を突っ込んで首をすくめ、友晴は駅に背を向けた。
(おわり)
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