通勤・通学途中に枚方のことがもっと詳しくなれる【ひらかたクイズ】コーナー!!
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Q . 枚方市は邪馬台国の一部だったでしょうか?
a.一部ではない
b.一部だった
c.オレにとって全てだった
ひらつー内正答率 80%
a.一部ではない
b.一部だった
c.オレにとって全てだった
ひらつー内正答率 80%
正解は
a.の一部ではないです。
ソースは「枚方の歴史」の32~33p。
それによると出現期(3世紀半ば過ぎ)の畿内における有力古墳は北の淀川水系の山城相楽・乙訓地域や摂津三島地域、および北河内交野地域にみられるのに対し、南の大和川水系では奈良盆地東南部に集中してみられる以外は、あとに巨大古墳が数多く築造される奈良盆地西南部の葛城地域や河内南部に顕著なものはみられなかったようです。
なぜかというと、大和川流域の領域内は邪馬台国以来のヤマト王権の政治的領域だったため有力な古墳が奈良盆地東南部以外にできなかったと書いてありました。
一方、枚方市は淀川水系の交野地域に属しており、この地域の弥生土器の特徴も、邪馬台国があったとされる場所のものと違うため、枚方市は邪馬台国および初期ヤマト政権の領域外であったと考えられるとのことでした。
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