龍馬暗殺実行犯の一人、佐々木只三郎は暗殺から約2ヵ月後に楠葉で重傷を負って死亡してる

昨日「大河ドラマ 龍馬伝」が最終回でした。
龍馬伝が始まったころに「坂本龍馬は枚方でくらわんか餅を食べたことあるかも」という記事をアップしましたが、最終回の登場人物にも枚方と関係がある人がいるのでご紹介します。The Ohmiya
The Ohmiya by MShades on Flickr

近江屋で坂本龍馬と中岡慎太郎を暗殺したとされているのは京都見廻組(みまわりぐみ)の7人で、その中に見廻組与頭(くみがしら)で指揮官だった佐々木只三郎という人物がいます。龍馬伝では中村達也(→龍馬伝キャスト)が演じてました。(めっちゃシブイ配役でしたね!)

11月15日(旧暦)の龍馬暗殺の後、どうしても武力倒幕がしたかった薩摩藩がいろいろ工作して1月3日に鳥羽・伏見の戦いが開戦します。京都見廻組は幕府の組織なので、佐々木只三郎も幕府軍として鳥羽・伏見の戦いに参戦しました。その鳥羽・伏見の戦いの中に「橋本の戦い」と呼ばれている戦闘があります。「橋本」とは樟葉駅のとなりの橋本駅の橋本です。そこに参加していた佐々木只三郎は楠葉付近で腰に銃弾を受け重傷を負います。(ちなみにこのとき新選組の土方歳三らもいたそうです。)

ここでピンと来た人もいると思います。
この「橋本の戦い」の際に使われたのが、つい最近国の史跡に指定された楠葉の砲台です。
楠葉にある勝海舟が作った砲台跡が国の「史跡」に指定されるそうです 枚方つーしん

こうして見てみると、砲台跡が史跡に指定されたのは今年の幕末ブームの影響もあったのかもしれないですね。

佐々木只三郎は重傷を負ったまま敗走して和歌山で死亡しています。

ちなみに、龍馬伝では「京都見廻組は龍馬のことが憎くて暗殺した」という描き方でしたが、幕府から見れば坂本龍馬は寺田屋事件で役人を一人射殺した「殺人犯」で、京都見廻組は単に公務(大政奉還後も当面は幕府が政権を担当することになっていた)を執行したにすぎないという見方もできるそうです。

このへんのことは雑誌「歴史街道」の12月号がめっちゃおもしろかったです。ここまでの記事でもこの雑誌の内容をちょっと参考にしてます。

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京都見廻組犯行説以外の薩摩藩黒幕説とか後藤象二郎黒幕説などの検証、龍馬暗殺の部屋の間取り、どこにどの人物が立っていたのか、それぞれの証言の信憑性、実際に手を下したのは誰かなどが考察されています。また、龍馬暗殺から鳥羽・伏見の戦いに至るまでの幕府と薩摩の心理戦なども載ってて面白かったですよ。

関連リンク
佐々木只三郎 Wikipedia
京都見廻組 Wikipedia
鳥羽・伏見の戦い Wikipedia

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