明治時代に枚方町にあったという「加島銀行」の小切手請取書がヤフオクに出品されています。
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■當座小切手請取書 合資會社 加島銀行 枚方出張店 明治時代 – ヤフオク!
「合資会社 加島銀行 枚方出張店」との記載があります。
加島銀行というのは1937年に廃業しているので現在はもうありませんが、Wikipediaによると1929年に大阪近郊の店舗は鴻池銀行、山口銀行、野村銀行に分割承継されたとあります。
ではそのうちのどれに承継されたのかというと、以下のサイトに当時の新聞記事が載ってました。
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・五月十一日から加島銀行営業廃止 ―本支店出張所共―山口、鴻池、野村で引受 大阪時事新報 1929.4.3(昭和4) 神戸大学 電子図書館システム
これによると枚方出張店は野村銀行に引き受けられてます。
そしてさらに手元にある「枚方市史」で調べてみると、ちょっとだけ記載がありました。
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明治期本市域の産業としては、農業および農家副業的なものがその中心であって、会社企業の発展はみるべきものが少なかった。ちなみに、わが国で産業革命が達成されたといわれる明治三〇年ごろ当地方の状況を、 『大阪府統計書』によってみると、株式会社では枚方町の河内銀行(明治二八年五月創業、資本金五万円)と菅原村の河内酒造(明治三十年十二月創業、資本金四万円)が注目されるにすぎない。合資会社では菅原村に河北酒類合資会社(明治二九年一〇月創業、資本金五〇〇〇円)、また津田村に巻煙草製造の合名会社村井分工場があり、その他銀行支店関係では、津田村に摂河銀行津田支店、枚方町に加島貯蓄銀行と加島銀行の各枚方出張店が設置されていた程度である。
(枚方市史第四巻 P.240より)
出張店とはいえ当時の枚方にとって数少ない「会社」のうちの1つだったようです。
これらを合わせると、「加島銀行 枚方出張店」は少なくとも明治30年(1897年)には枚方町にあって、昭和4年(1929年)に野村銀行に引き受けられたことになります。
そして野村銀行は1948年に大和銀行(→Wikipedia)に商号変更し、現在はりそな銀行となっています。りそな銀行は現在枚方市駅前のサンプラザ1号館1階(バス停前)にありますね。
ちなみに京阪電車の開通が明治43年(1910年)なので、加島銀行はまだ枚方市駅(枚方東口駅)もない頃から枚方にあったんですね。
サンプラザビルは昭和にできた建物なので加島銀行枚方出張店がここにあったわけではないと思いますが、当時の加島銀行や周囲の風景がどんなもので、人々がどう行き交ってたのかなーと思い描いてみるのもおもしろいんじゃないでしょうか。