全7回にわたって、枚方市駅周辺再整備について、各関係団体のインタビュー記事をお届けしているシリーズ企画。
第2回目の今回は京阪ホールディングス株式会社へうかがい、経営統括室 経営戦略担当の大浅田部長にお話を聞いてきました。
新しい時代の顔となる駅へ
― 2017年11月に発表された、京阪が無印で有名な良品計画とコラボして枚方市駅を2018年にがらっとリニューアルするというニュースはひらつー読者の皆さんの反響も大きいものでした。
「えきから始まるまちづくり宣言」というもので、キャッチコピーを「新しいまちづくり 駅からはじめます」と掲げています。
読者さんよりご投稿いただいた地上駅の頃の枚方市駅(1983年の地上駅時代の枚方市駅からみた京阪電車【枚方フォト】より)
「まち」と言うと行政機関が主語みたいに感じる方もいらっしゃると思うんですが、鉄道を軸とする私たち京阪グループからすると、やっぱり「まちをつくってきたのは自分たちだ」という自負があるんです。
それは「権利」ではなくて「責任」だと思っています。
― 京阪グループとしてまちをつくってきた「責任がある」と。
そうです。
枚方市は2017年に市政70周年を迎えましたが、京阪は市ができる前から、何もない所に線路を敷き、電車を走らせてきました。
読者さんよりご投稿いただいた1969年の牧野付近の写真(1969年の牧野付近の写真より)
京阪ホールディングス沿革より(右の写真が 渋沢栄一 翁)
― とてつもない方ですね。
当時、財閥は◯◯系という派閥を大事にしたんですが、彼は一切それをせず、公益のために民間企業はあるんだと主張したようです。
京阪に関して言うと、もともと対岸に国鉄、今のJR東海道線が走っていたんですね。彼は「京都、大阪の京街道沿いにも鉄道を作るべきだ」と三十石船に代わる鉄道を敷くことを国に提案するんですが、二回却下されて、三度目の正直でやっと認可されたのが京阪本線なんです。
そこまで渋沢栄一が「淀川の左岸にも鉄道は必要だ」と主張したのには理由があって、やがて九州も栄えて東海道線がパンクすると予測していたんです。
だから淀川左岸の京街道に点々とあった宿場町をつなぐ鉄道がいるんだと、1906年、今から112年も前に考えて京阪電気鉄道を創立させたんです。
現在の枚方市駅と南口駅前広場
― 明治の時代に、そこまで予測していたんですね。
そういうDNAをもっている会社ということもあって、まちは私たちが責任をもってどんどん進化させていかないといけないんじゃないかという考え方なんです。
今のロータリーができたのも枚方市駅前市街地再開発事業によってできたんですが、当時は全国でもかなり初期の先進的な事例だったらしいんです。
昔の枚方市駅南側のようす「郷土枚方の歴史」 P263より出典(「郷土枚方の歴史」に掲載されている昔の枚方の色々な写真より)
現在の枚方市駅南側にあるサンプラザ1号館(写真右)と枚方T-SITE(写真左)
― そういった駅前再開発の歴史があるんですね。
これから、主要国一とも言われる「人口減少社会」に向かっていくという局面になり、これまでの高度成長期とは違う次の時代に向かった「まち」あるいはまちの顔となり玄関となる「駅」というものを考え、進化させていかないといけない。
それが今、私たち京阪の思いなんです。
― 枚方市駅はリニューアルによって「新しい時代の顔となる駅」になるんですね。
そうです。枚方市駅は「新しいまちづくり 枚方市駅からはじめます」ということで「いつも使いたい、一度は行ってみたい駅」というキャッチコピーを掲げています。
この資料の写真は昔の枚方市駅のようすで、我々40代後半ぐらいの世代が子どもの頃の枚方市駅はこういう景色でした。田中邸のむくの木がちょっと写っています。
写真上部に小さく写っている「枚方田中邸のむくの木」を指差す大浅田さん。
こちらが現在の枚方田中邸のむくの木。大阪府の天然記念物にも指定されています。
「一度は行ってみたい」というのは観光やお買い物、レジャーを目的として枚方市駅に訪れていただくということです。
枚方に住む「定住人口」と、よその市から観光やお買い物で来る「交流人口」の両方を増やさないといけないというのが、私たちなりに今の枚方の課題を分析した上での命題なんです。
「駅」という視点で考えてもそうなんですが、イコール「まち」として考えても、やっぱり当てはまると思うんです。
現在の枚方市駅と南口駅前広場
― そろそろ先ほどから気になっている模型についても解説いただければと…
枚方市駅周辺の模型。写真中央の高いビルの模型があるところが京阪の土地である「デルタ」部分
まさにこの灰色の模型の部分が、私たちが具体的にプランニングしている「デルタ」と呼んでいる三角地帯のところです。このデルタは京阪の土地なので、ある意味ではここさえちゃんとやればいいんですが、それだけじゃだめだよねと。
やっぱり全体のバランスも含めて「いいまち」にしないと、「いつも使いたい、一度は行ってみたい駅」の二つは満たせない、という考え方です。
天野川側から枚方市駅側を向いて撮影したデルタ地帯
― このデルタ部分、現状ではまだまだ使える土地がありますよね?
「超ひらパー兄さん」なんてその最たる例ですよね。
やっぱりそれは天野川があって淀川があって、生駒山が見えて…という住みやすさ、環境みたいなのものはあると思いますね。京橋に交野線沿線でも30分で行ける一方で、家に帰って来たら、5月下旬頃になればカエルの合唱が聞こえるという。
京阪の社員でも大阪中心部から20~30分のところに住んでいるメンバーで、家の周りでカエルの合唱が聞こえる人はなかなかいない。これは枚方の特徴のひとつだと思いますね。
京阪村野駅近くの踏切からのぞむ田んぼ(→ただの枚方 No.147 村野の夏 より)
よく言うと便利なまちだったし、外に行く必要がなかった。暮らしやすいですし。
その当時は百貨店が2つもあって、すごいでしょ!ここはみんなが来るまちや!っていう思いが強かったんじゃないかなと。
昭和43年オープン当時の三越(昭和43年に「枚方三越」がオープンした当時の写真や新聞記事 より)
(京阪経営戦略担当者):それで、枚方のまちに誇りを持つ親に育てられた子どもたちが成長していって、小さい頃から何か欲しいと言えば「それやったら枚方のどこどこに行ったらええやん、なんでもあるで」というような経験がずっと頭のどこかに残っていて、それで皆さん「ええまちやん」となっているのかなと思いますね。
それこそ今、子どもをもつ親のお父さんお母さんがいい意味で洗脳していったみたいな部分があるのかな、と。
― 大浅田さん、どうですか?(笑)
― 再び大浅田さん、どうですか?
確かにそうかもしれませんね。
僕たちの世代はまさにライフスタイルの変化の波の中で、わりと最先端をいかせてもらえていたんですよね。蔦屋書店ができて、レンタルレコードの白いカバーを片手に、チャリンコ乗るっていうのがなんかちょっとかっこよかったんですよ。たぶんそれがキラキラだったんだと思います。
蔦屋書店の前身「LOFT」が入っていた枚方駅前デパート(1988年(昭和63年)の枚方駅前デパートと万年寺山の踏切と1975年(昭和50年)のひらパーの写真 より)
「感じのいい駅」へ
人口減少の問題や、今10代の高校生くらいの子がやがてお父さん・お母さんになる時に、どんな生活をしたいか、というようなこともこれから考えていかないといけない。
そう考えた時に、無印良品の良品計画という会社は「感じ良いくらし」の提案というのを理念としているんですよ。だからちょうど私たちが考えている、「こんな駅でありたい」という思いとマッチするんです。
京阪の「CORPORATE REPORT 2017(→PDF)」には京阪ホールディングスの加藤社長と良品計画の金井会長の対談が掲載されています。
成功すれば全国でも稀有な例に
ー 枚方市駅を含めたまちづくりのことも考え続けてきた、と。
枚方市に住んでいる人の大半はこの丘陵の上に住んでるんです。だから必ず枚方市駅に行く時は坂を下りるイメージがどこかにあると思うんです。
あのあたりから枚方市駅までは歩いて10分ほどなんで、もっと住宅地などが広がっていても本当はいいんです。
先人たちが今のまちをつくって、残してくれたからこそ、再び進化させるチャンスがあるのです。
まちの顔作りの必要性
枚方市にはこれといった顔がないと思うんです。ひらパーの観覧車やくずはのタワーシティが画像でもよく使われますが、そういうものではなくて「枚方といえば!」という、例えば駅前広場から真っ直ぐに公園が広がって緑が豊富で…というような顔が必要だと思っています。
(京阪経営戦略担当者):交通弱者がどんどん増えていく中で、郊外の道路沿いばかりにお買い物をする所が増えても、生活ができなくなっていく方もいると思うんです。そういう方も、枚方市駅まで来ればなんとかなるというような駅前づくりが理想的ではないかと考えています。かつての市駅がそうであったように。
足腰が元気な人には、ちょっと歩いた所にきれいな環境を見ながら住んでもらい、それがさっきの大浅田が経験したキラキラの話じゃないですが、子どもたちがきれいになったまちを見て育てば、その子たちが大人になった時にはやっぱり「このまちが好き」って思ってもらえるのかなと。
そういった循環を作っていくためにも枚方市駅周辺にシンボル的なエリアを作ることで枚方に住みたいと思ってもらえるのかなと。
枚方に住んでいる人が枚方を好きな理由として、それぞれ心象風景をいくつか持っていると思うんです。
天野川を車で走ると見える生駒山がスカーッと抜ける景色が好きとか、万年寺山から見る景色が好きとか、淀川の夕景色がたまらないとか、市内のどこからも交野山や高槻の方の山が必ず見えるとか。
万年寺山 御茶屋御殿跡から淀川をのぞむ風景
私が子どもの頃には三越の上にゲームコーナーやパノラマ大食堂があったんですが、そこから淀川がすごくきれいに見えたんです。駅を見下ろして、電車やバス、車、人が行き来して、まちが動いているのを眺めながら百貨店でごはんを食べて帰るという、そういう心象風景があったんです。
今は枚方市駅を通過しているだけの方も多いと思うので、それはちょっと残念だなと思いますね。
― 枚方市外の人がふらっと今の枚方市駅に立ち寄ったら、駅前がごちゃごちゃしているような印象を受けるかもしれないですね。
岡東中央公園。中央公園って英語にすれば「セントラルパーク」でしょ?
岡東中央公園(okahigashi central park)
― あ、なるほど。確かにそうですね。(笑)
駅に関して言いますと、乗降客数が10万人を超えてくると、都心部にしか出店しないテナントも誘致しやすくなります。
今は枚方市駅の周りには、ほとんど居住者がいないんです。大垣内町2丁目と川原町で人口を数えると600人くらいです。駅の北側はすぐ淀川ですし。
なので私たちは官公庁団地のあるあたりに、比較的購入しやすい価格帯のレジデンス(マンション)、しかも “枚方ライフ” を象徴するような住居ゾーンを展開すれば、30代くらいの若い世代の方々も住むんじゃないですかという提案をしているんです。
枚方市の人口は、大幅な減少はないものの、実は20代後半から30代の各年齢の人口に占める割合は、全国よりもかなり低いんです。
枚方の活性化のためにはこれが課題だと考えています。
そして駅周辺の居住者が増えると、自ずと乗降客数が上がってくる。そうすると、今まで梅田にしか出店しなかったテナントも、枚方に出店を考え出す。
枚方のベンチマークとして参考にされるという二子玉川の高層マンションたち(枚方にもこんな場所があったらいいな!?スゴすぎて帰りたくなくなった日帰り弾丸ニコタマ旅。蔦屋家電に屋上菜園【ひらつー番外編】より)
― 色々とお話をうかがってきましたが、京阪さんの枚方市駅周辺再整備に対しての力の入れ具合は星5個中でいうと、いくつでしょうか?
実際のところ、デルタにランドマークのビルが建つ実現可能性はどれくらいなんですか?
このままではどんどん人口も減っていきますし。
― そういった問題に対して再整備するんであれば、これぐらいの規模のことをドンとやって、また輝きを取り戻す…
京阪もまちづくりをやっていますが、樟葉駅前は京阪所有地も多く、ある程度自由がききました。ですが、枚方市駅の場合はいろんな関係先もある中で、地元の方々と「どんなまちがいいんだ?」と話し合うことが大切だなと。
「新しいまちづくり 駅からはじめます」というキャッチコピーは、「京阪はまず駅をやる」というメッセージなんですが、そこは社長の加藤が強い思いを持っていて、「全部同じ駅をつくるのとは違う」と。
それぞれの駅の歴史であったり地域性、それをちゃんと考慮しながら駅を変えていく、これが私たち京阪グループのやることだと。
(京阪経営戦略担当者):建つ頃には平成は終わっていますけどね…。
― ホントですね…(笑)
ですから、例えばエリアマネジメントの「次世代の枚方市を考えよう」みたいなイベントなどに市民の方も参画してもらって、パネルディスカッションなどはどんどんやるべきだと思います。
やはり、まちには多様性というものが必要だと思うんです。
でも、実はまちには多様性が必要で、神社のお祭りなどは企業の偉いさんもいれば、やんちゃなお兄ちゃんもいて、お祭りの時だけは裸になって一緒にやるという、あれは日本の本当にいいところだと思うんです。
まちづくりにも日本の良さである多様性は取り入れないといけないと思います。
枚方まつりでのふとん太鼓のようす(→詳しくはコチラの記事で)
― 枚方市駅周辺の再整備によって、画一的なパッケージのまちになるわけではなく、多様性を残しながらも、またワクワクするようなまちを作っていくべきだと。
香里団地や松井山手に住んでいる人たちも枚方市駅にお買い物に来る、高槻からもちょっと行ってみようかなと思える場所にできると思います。
商業施設などのモールも・・・
また話はそれるんですが「モール」という言葉は京阪が最初に使ったことはご存知でしたか?
くずはモール
― え? そうなんですか!?
昔のくずはモール(1974年(昭和49年)のくずはモール・ひらかたパークの写真、2006年の樟葉駅付近の3000系の写真 より)
「モール」は元々「木陰の散歩道」という意味なんですが、レンガ造りの散歩道沿いに専門店などが立ち並ぶ形状の郊外型施設を日本で最初に作ったのは「くずはモール」だったんです。さらに「スーパーマーケット」という言葉を使ったのも京阪が日本で最初なんですよ?
― え!?スーパーマーケットって、それはさらにすごいんじゃないんですか?
今言ったことは、実はくずはモールのSANZEN-HIROBAに京阪の歴史をまとめた年表に書いてあります。日本初や世界初だけを写真付きで大きく取り上げて、Civic Pride(市民が誇りに思う心)の一つにしていただこうと思ったんです。
くずはモール ヒカリノモール1階にあるSANZEN-HIROBA
― 京阪に乗っている人には当たり前の光景ですよね。
そのためには、色んなものがないといけない。
商業施設で言えば、モールだけではなく、定休日もあるけれど地域に根ざした地元で愛されるお店もまちには必要で、そういうお店が枚方市駅前のセントラルパーク付近にあって、ワンちゃんのお散歩ついでに寄ったりできるといいですよね。
― そういういろんな要素が詰まっているから、まちとしてのおもしろさがあると。
川原町商店街
これはブランドスローガンと呼んでいるんですが、ダブルミーニングになっていて、「こころのあるまちをつくろう」という意味でもあると共に、ワクワクするような「心待ち」をつくろう、という二つの意味があるんです。
― なるほど。
ですので、枚方市駅周辺のまちづくりをワクワクしながら「こころまち」にしていただきたいですね。
これも枚方にポテンシャルがなければ京阪もそこまでできないわけです。私たちは、枚方にはポテンシャルがあると思っていますし、それはずっと枚方に住んでる私も十二分に感じていますし、外から来た人も感じているので再開発をやろうという話で進んでいます。
その枚方のポテンシャルを、これからも掘り起こしていきます。
以上、枚方市駅周辺再整備について、京阪ホールディングス株式会社 経営統括室 経営戦略担当の大浅田部長にお話をうかがいました。