こんにちは!普段は開店閉店記事を担当しています、すどん@ひらつーです。
先日、いただいた情報の中に
「枚方市民でサハラマラソンでは2013-2015年の三年連続日本人最高位をとり、ゴビデザートマラソン2014総合優勝をした」
という経歴を持つ方についての投稿があり、
え、めっちゃ気になるやん…そもそもサハラマラソンって、ゴビデザートマラソンってどんなんやねん…
ってなり、これはお話を伺わなくては!と思ったので、連絡をとり、タイトルの通りになりました。
しかし僕は走るのは苦手…なので今回はジョギングまとめを作るくらいランナーしてるカトゥー@ひらつーに同行してもらい、そのすごい人が社長を務める高槻の会社までお話を伺いにいってきました。
ではでは、早速インタビューです!
― サハラマラソンに出場される経緯を教えていただけますか?
「2004年にダカール・ラリー(→Wikipedia)にオートバイのカテゴリーで出たんです。ラリーというのはステージレースといって何日もかけて走破するんですが、当時のダカール・ラリーは三週間かかるんで、もう生活なんですね」
― どうやって生活を?
「基本的にテント張って。当時のダカール・ラリーはサハラ砂漠を通過したんですが1月の開催なので、朝は氷が張るくらい寒いんです。モロッコのアトラス山脈なんかは雪も降るんで」
― 氷に雪…過酷ですね。
「…ということをずっとやってました。僕はワルザザートという大きな砂丘があるところでリタイアしているんですね。砂漠の中で佇んで途方に暮れているシーンが当時のニュース・ステーションで流れたんですよ(笑)」
― なんと…(笑)
「キャスターの久米宏さんが『あの人達どうなるんですかね〜』とコメントされて…(笑)」
― 笑
「ダカール・ラリーをリベンジしようと思ってたんですが、その後、治安の問題で南米に移ってしまったんです。
サハラマラソンはダカール・ラリーの仲間達が派生して作ったレースで、まさに僕がリタイアしたワルザザートという所の砂丘を中心に250kmほど走るというレースなんです。
『じゃあ自分の足で走ってやろう!』と参加したのが3年前なんです」
― そういう経緯があったんですね。
「そうなんです」
― ちょっと経歴を調べさせていただいたら、36歳の誕生日を機に禁煙&ランニングを始められた…とあったんですが。ホンマですか??
「そうですね」
― それまではご自身の身体よりも乗り物への興味が?
「メカの話ばっかりしてましたよ。タバコもヘビースモーカーでしたし…」
― ヘビースモーカーだったんですね!…ちなみに銘柄は?
「マルボロとか…当時のダカール・ラリーのスポンサーですよね(笑)。100m先のコンビニにタバコ買いに行くのに車とかバイクに乗って行ってました」
― それはメカの調子を確認するために?
「いや…単純に歩くのが面倒だし…(笑)」
― 笑。それがどうして36歳の誕生日を機に?
「肺の機能が低下していると健康診断で言われたんです。COPDというタバコ病で(→Wikipedia)。実はうちの会社の事業はそういう患者さんを助ける事業でして…。やめないといけないとわかっていながら、自分はタバコをやめられずに…。『このままではいかん』とは思っていたんですが、東日本大震災が36歳になる前にあったんです」
―2011年のことですね。
(杉村さんよりランナーっぽい格好でインタビューするカトゥー@ひらつー)
「うちは在宅で酸素吸引をされる患者さんに提供する事業なんですが(→株式会社アディック)、震災後には計画停電とかがあって。東京にも営業所あるんで、もうタバコがどうとか言ってるヒマもないくらい走り回って。タバコも品薄で売ってなかったんですし、この機会にやめようと」
― それで、サハラマラソン開催を耳にして…
「はい。じゃあ、やってみようと」
― でも先ほどおっしゃられたようにCOPDになるほど肺の機能が低下していたら、最初走り始めた時はとんでもなくしんどかったんじゃないですか?
「タバコをやめる前年の11月、高槻のハーフマラソン出たんですが10km地点でリタイアしてます」
― それはもう肺が?
「肺も足も…全部が限界で。嫁はずっとまえから走っていたので、僕をおいてピューといっちゃって」
― 笑
「僕も学生時代はサッカー部だったんで『20kmくらいは走れるやろ!』と思ってたんですが、全っ然ダメで…」
― 笑
「そこから、まずはウォーキングをはじめ、2011年3月に東日本大震災を機にたばこをやめて。吸いたくなったら走る!という風になっていきました」
― ウォーキングからはじめてサハラマラソンに出場されて、その後も継続して3年連続日本人最高位になられていますが。毎年出る理由は何なんでしょう?
「継続してサハラマラソンに出る理由はふたつあるんです。
ひとつめはステージレースといって何日も走るわけです。そうすると友達になるんですよ。毎日同じゴールに向かって早さバラバラですけど、ボロボロなって毎日帰ってくる。そして、テントを張ってご飯食べて飲んで…ということを繰り返すので本当の友達ができるんです。
ステージレースが好きで、サハラ砂漠が好きだから…がひとつです」
「ふたつめは、自分が勝てる可能性のあるレースだからです。先ほどもお話しましたが、僕は肺の機能が低いのでスピードが出ないんです。ですので、早さという軸ではなく苛酷さという軸で戦っていったほうが自分は上にいける可能性があるわけです」
― 自分の性質を踏まえた上で。
「はい。フルマラソンで3時間切ろうと思ったら時速15kmくらいなんです。3時間切ることがフルマラソンの一流の基準なんですが、これが百キロマラソンになると10時間を切ることがサブ10というひとつの基準になるんですが、そうなると時速10kmで走ればいいんですよ」
― なるほど、なるほど。
「スピードが1.5倍違うわけです。心肺機能が低い人は遅く長くは走れても、早く短くはやっぱり限界があるわけです。そういうことも踏まえて僕は自分の勝てるフィールドを選んだわけです」
― やるからには勝ちたい!という思いですか?
「『勝つ』というよりも『ベストを尽くす』という思いです。レースと言うのはタイムと順位を少しでも上を目指して自分のベストを尽くしてやる…というのが楽しみだと思っているので、ちょっとでもいい結果が出るフィールドを選んでいく…という流れですね」
― 本業の在宅用医療機器を販売する会社は学生時代に立ち上げられたんですよね?
「独立を学生の頃から考えていたわけではないんです。たまたまうちのじいさんが在宅医療を受けていて、当時、星ヶ丘の厚生年金病院に入っていたんですけど、当時在宅医療はそんなに定着していなくて介護保険もはじまる前ですし、入院するかギリギリまで自宅で耐えるか…という感じで」
― 選択肢が今ほどなかった…
「そうですね。それで、じいさんが独居で在宅医療をはじめた当時、高校・大学生あたりでじいちゃん子だったのもあって、バイクで様子を見に行ったりして『生きてるか〜!』とかやってたんです。
で、その頃東京モーターショーを見に行った時にすぐ横で国際医療機器展というのがやってたんです」
― それはたまたまですか?
「はい。で、ちょっとのぞいて見たら独居老人の遠隔監視システムというのが当時一番スポットライトを浴びていたんです。
まだISDNが出る前の頃ですが、家に赤外線をバーっと張って、そこに一日触れなければ倒れている可能性があるから自動通報される…とか、トイレにそのシステムを付けておくとか。
そういうことが注目を浴びてたんですが、僕はじいさんの見回りに行ってたので人間味がないなぁと感じたんです」
― 理想はやはり人が見回りに行けるのがいいですよね。
「僕ら学生みたいなのでもいいから、独居の人の見回りをしたり、そういうサービスができるんじゃないですか?と病院の先生たちに話をしていたら、自分のじいさんにやっているようなことをサービス化してくれたら絶対にニーズあるよ…ということになって」
― なるほど。
「酸素濃縮器とか、人工呼吸器とか、今は睡眠時無呼吸症候群の機械を提供してサポートしているんですが、医療機器メーカーが大学生に卸してくれないんですよ」
― 学生には…難しいかもしれないですね。
「ですので、そういった機器が入っている方に、まずは在宅ケアのサポートだけをするようなところからはじまって。ソフト面からはじまったんです。最初はバイト感覚でお金をもらうような感じでした」
結構長くなりましたので、インタビューは後編へと続きます。
後編はトレーニング方法、ラリーの楽しさ、東海道五十三次ウルトラマラニックについてのお話をお届けします!
明日の同時刻にアップ予定ですので、お楽しみにー!
【→後編へ】
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