チャンピオンで「囚人リク」を連載している漫画家の瀬口忍さんは枚方出身です。
こちらのサイトに瀬口さんのプロフィールに枚方出身と記載があります。
引用すると↓
週間少年チャンピオンの出版社「秋田書店」のサイトによると、現在連載中の「囚人リク」は東京に隕石が直撃し、それに伴ってできたスラム街で犯罪に巻き込まれた主人公リクがたくましく生きるというストーリー。そして今回なんと、実際に瀬口先生にお話を伺えることになりましたので、色々と聞いてきました!
経緯としては以前ひらつーでも紹介したぼしひこくんのフィギュアを作ってくださったテツオさんが瀬口先生と昔同じ職場だったという縁があり、テツオさん同行の上で取材させていただいた形になります。
まぁでもほぼほぼ枚方です。
生まれたのは枚方の病院です(笑)
以前、京都に住んでたんですよ。京都市内なんですけど外れ気味のところでぎゅっとしててね、子供が小さかったから週末とか遊びに連れていかなあかんじゃないですか。
それでちょくちょく滋賀に行ってて家賃も安いし仕事もどこでもできるしっていうそれぐらいの理由ですよ。
たぶんデジタル原稿やったらメールとかでやり取りするんでしょうけど、原稿自体がアナログやから。
キン肉マンのパクリみたいなん(笑)
それをクラスの子に見せてとかそういうのはしてましたけど。
なんか絵を描くのは好きやったんで絵描きさんと同じような感じで絵を使って何かしたい、表現したいなぁっていうのはあったんです。
で、マンガみたいなのも描いてたし、なんか最初の方は社会的なものを題材にしたものを描いてて、まぁ中二病みたいな「このクソみたいな社会に」みたいな(笑)
マンガを使ってなんかそんなん表現したいなぁっていうのがあって、原稿を描いたりとかし始めたんですけど、説教臭くなっちゃって(笑)
もっともっと前で言うとほんとにオートバイが好きやったから、オートバイを題材にしたマンガをジャンプに投稿してたんですけど、だんだんやってるうちに余計なものが入りだしてからジャンプの人にこれではジャンプに載せられませんって言われてしまって(笑)
自分の描きたいものと系統が外れだしたから違う雑誌に出したりとかしてるうちに、もっともっとエンターテイメントを意識したものを描きたいなと思っていたら、いつの間にかもうそれしかなくなってたっていう。
漫画描きの友達っていなかったんですけど、友達が組んでたバンドがあったんです。
でも僕は楽器できひんし、ほな「俺こっちでやるわ、お前歌でやれや」みたいな感じで、中学高校の時とか夢膨らむじゃないですか。それを生業にするぞみたいな。
分野は違えどなんか表現するっていう友達がいたことがわりと大きかったかもしれないですね。
中学の時はまだ自由帳に鉛筆で描いてたり。
人体模型屋さんなんですけどテツオさんがいたところはまた違う部署、会社自体には3つ部署があったんですけど。
僕は看護師さんが注射の練習をする腕だけの模型とかお風呂の練習をするための赤ちゃんの人形とかシミュレーション用のものを作る仕事をしてました。
大学もそんな感じでマンガずっと描いてたんですけど、へそ曲がりなとこもあるからマンガマンガしてるのいややなと思って。
大学も行かせてもらえるしマンガなんか家でも描けるし、まぁでも絵を描くか彫刻とか立体物もやってみたいなっていうのはありました。
大学ではそういうのを専攻して、部活的なものも高校まではラグビーしてたんで大学入ったら軽音みたいなのに入りたいなと思ったんですけど、なんかやっぱりラグビーを続けてしまって。
大学も漫画を賞に出しながら描いてたんでそれもちょっとずつ固めて、でも会社勤めもして…みたいな(流れ)っていうのもあったんですよ。
会社からすると社会見学みたいに来られても困るんでしょうけど。
1年10ヶ月ほどしか会社には行ってないんですよ。
会社辞めたんがその年の12月やったんですけど、10月ぐらいには会社に辞めますって話をしてて、そのあと(僕が)アシスタントとして働くことになる王欣太さんが「蒼天航路」っていうマンガを始めるからちょっと手伝ってっていうことになりました。
でたまたまタイミングが合ったんで「ほな僕デビューするまで手伝わせてください!」って言って結局蒼天航路が終わるまでずーーっと京都でアシスタントさせてもらって。
そこで講談社の賞にはいれたんで講談社とつながりができたんです。
その時はそれこそチャンピオンにも出して電話までもらったんですけど、この漫画はうち用に描いてもらったんですかっていう確認っぽくて、バカ正直にいや違うんですって言うてしもて、ほなもうその後電話がかかってこなくて、なんやねんチャンピオンと思てた(笑)
それからずっと講談社でお世話になったんですけど、その間も読み切りまでいかへんかったり担当さんが人事異動とかでやむなく変わったりとかであんまり相性合わんようになったりとかなったんで、スピリッツとか小学館の方に出したり、絵本の方とか寄り道しながらやってて。
(講談社時代に刊行された瀬口先生の漫画「にんジゃブースケ」)
チャンピオンはそれもたまたまなんですよね。
蒼天航路で巻末におまけマンガを載せてもらったんですよ、スタッフが描きましたみたいな感じで。
それを囚人リクの初代の担当さんなんですけど、その人が見てくれたんですよ。
けどその人はまだ秋田書店には入ってなくて、コアマガジンっていう雑誌でマンガ雑誌を立ち上げるから漫画家さんを探してて、いねえなーとか言うてなんとなく蒼天航路を読んでたら「あ、これ連絡先書いてるやん」って(笑)
そのページには当時のドコモのガラケーのメールアドレスや電話番号も書いてたんちがうかな。
今では考えられない(笑)27巻の巻末なんですけど(笑)
それをコアマガジン時代の担当さんが見てくれて、そこでお付き合いするようになって、月1回雑誌で連載させてもらってたんですよ、ちょっとの間。
それからその人が秋田書店に転職して、そこでもまた漫画家さんを探さなあかんってなって、コアマガジン時代からの付き合いがあるってことで、ちょっとやりましょうよって僕に声かけてもらいました。
そこでやっと僕もチャンピオンで描くようになったんです。
そんなウロウロしてるからもう40いくつになってしまいましたね。
どっちにもまんべんなく「あーあいつ絵の好きな奴やな」みたいなポジション。
そこは間違いなくあると思いますね。
ひらかたパークは大学の時にアルバイトしてたんですよ。
今ひらパーって言ってるじゃないですか。
あの仕掛けが入ってテコ入れする前ってほんまにやばくて、菊人形とかは毎年伝統みたいな形でやってましたけど、僕がやってたのは菊人形の大きいホール体育館みたいなのの通路の足場を整えてとか、菊人形を置くセットを作る会社のアルバイト。
だから大工さんみたいな仕事やったんでわりと人目につかない仕事でした。
全然人がおらんかったからバイトの昼休みとかひらかたパーク内でバイクの練習とかしてました(笑)
当時はそれぐらいガラガラでやばかったです。
枚方ってどっちつかずみたいなところがあって、京都では全然ないし、かと言ってめっちゃ大阪っていうのでもないし。
遊びに行くときも京都か大阪どっちかに出たりとか、枚方から出ることがわりと多かったですけど、お金もない、エンジン付きの乗り物もないってなると自転車で行ける距離だと、近くのピーコックとかトップセンターとか、あと淀川まで出たりとか。
出て何をしてたかって言うと覚えてないですけど。
よーあの距離自転車で行ってたな。
どっちか言うたらもっと「オイオイ」言うような大阪みたいなんがええなーっていうのがあったんですけど高校ぐらいの時は。
大学ではもう寮に入ったんで枚方から離れましたけど、淀川に行って何をしたかっていうとたぶん何にもしてなかったんですよね。
友達と自転車でビャーっと行って年頃の相談事したり、金がないから缶コーヒーだけ途中で買って座ってボーっとしてあれやなーこれやなーどないしよかー言うて。
それこそピーコックで学校帰りにお金持ってへんからくだらない遊びしたり、買えてもたこ焼きをちょっと買ってみんなで分けっこしたりとか。
中学高校はいろんな友達とくだらないことをしましたし、そういった京都か大阪かどっちかっていうようなんじゃないからこその「独特な枚方」っていうのがあるのかなと。
10代とかそんなんでしたけど、だんだん20代とかなってやっぱ故郷っていうような、枚方ってすごい大事にしたい場所やなと思います。
友達もわりと枚方に残ってたりするんですよね。やっぱ落ち着くとこなんですよね。
香里団地は建て方もゆったり敷地をとってたりしましたが、今の時代はわりとギューギューですよね。
1つの団地の中で無駄に広い芝生の部分があったりとか、桜とか季節を感じられるものが多くありました。
いまだに桜並木とかはあそこのを見たいなーっていうのはありますし、残ってますね。
やっぱり原点はあそこやなーと思います。
普通に自然がありました。
ギューギューのまま駅から出てそのままずーっと行ってそのまま駅戻ってきて終わり、みたいな(笑)
お祭りとかそれこそピーコックの、僕らピーコック祭りとか言ってましたけどね。
お祭りは家の前のピーコックでって、それが一大イベントでした。
だから枚方ってすごい個人的な細かい思い出になっちゃいますね。
学生の時はまだ友達が誰かいたりしたので、前はもうちょっと戻っていました。
でもあーいうのって本屋さんが呼んでくれないと(笑)
以前地元の友達が市駅のTSUTAYAの店員さんと知り合いかなんかで、頼んで置いといてもらえるようになったよーって言ってくれて、あーありがとうありがとうって。
該当のやつっぽいTweet↓
【書籍情報】TSUTAYA枚方駅前本店は、枚方市出身の瀬口忍先生を勝手に応援しております! pic.twitter.com/D4Vm8nhz
— 枚方 蔦屋書店コミック館 (@T_HIRAKATA) 2013年1月15日
全巻はさすがに置けないでしょうけど。
今滋賀に住んでてTwitterでも現住所が滋賀って書いてたりするから、枚方出身っていうの隠してるわけじゃないんですけどね(笑)
なんか履歴を書くってなったら滋賀在住で滋賀で描いてますってなるから、あんまり枚方って出す機会がなかったんですけど、こうやって枚方の方から声かけてもらってうれしいです。
ONE PIECEぐらいもっと売れたら凱旋みたいなね(笑)
「あの瀬口は実は枚方出身やった!」ってなるにはどれだけ売れなあかんのかな(笑)
うちの近所はほとんど僕の漫画置いてないです。
やっぱほっこりする、落ち着くんですよね。
たまにサイン会とか講演しないんですかって声は聞くんです。
そのたびに「やりたいんですけど僕からは言えないんで」って(笑)
「どっか本屋さんが手を挙げてくれたらどこでも行きますよ」って。
たぶん単行本発売のタイミングとかと思うんですよね。
秋田書店側もそんなイベントするんやったらついでに売れる時にみたいな感じもあるでしょうから。
今時風じゃないですよね。
それこそ枚方で遊んでた時って女の子と付き合ってどうのこうのって言うよりも、バカみたいな友達とくだらないことしてたから。
ピーコックの前を買い物帰りでよちよち歩いてるおじいさんを見つけては「よし、ついていくぞ」とかって言って1人ずつ付いていって、気がつかれるまで何人列をなせるかっていう(笑)
どうでもいいようなことが楽しくてしょうがない。
だから女の子と付き合うっていうのはすごい照れくさい感じで。
そういう奴らに見せた時に平気で見せられるかっていう(笑)
そういう意味では逆流に乗って今っぽくはないでしょうね。
男同士でバカバカしいの大好きなんですよ。
ピーコック界隈とか(笑)
スラム街とか出てきますけど、スラム街とか言ったら怒られますけど(笑)
あそこで育まれたなって描けば描くほど感じることは多くはなってきてますよね。
あと季節良かったらピーコックから四中にかけての桜並木が大好きなんですよ。
(現在のピーコック。昔は香里が丘CORiOの位置にありました)
東京に行かんでも仕事は全然できる(笑)
特に今デジタルとかやったらアシスタントさんでもそれぞれの在宅でやったりしてるんで、画材もネットで買えるしね。
枚方は心豊かになるものがいっぱいある町なんで。
特に思春期とか多感な時にメインで暮らしてたから、友達と将来どないしよーって一番話してたのも枚方住んでた時やし、ええ思い出も悲しい思い出も切ない思い出も(笑)
好きな子ができたりして、携帯とかない時代で家から電話かけるのも親がいてめんどくさいし、塾行ったついでに公衆電話から電話して「お父ちゃん出るなよ」って願ってね。
ピーコックの近くの公衆電話やったなー(笑)
そういうしょうもない小さなことでもわりといまだに感情の原点みたいになってますね。
こういうのを描いててストーリーとか構成とか伏線とかギミックであるとか、いろんなものっていうのをいっぱい詰め込んでますけど、結局登場人物が何を思って何を感じて、例えばさっきの切ない思いであるとか、うわ楽しいな、仲間ができた友達ができたとかっていうような、その時の登場人物の感情っていうのを最近そういうことを描いていかなあかんねやなっていうのがあります。
どういう感情の作られた原点っていうのはやっぱり絶対枚方の土地だろうし、そこで会った友達だろうし、ほんとによく言われてるとおり年をとるごとに生まれ育った所は身にしみますね。
毎週描いてたら勝手にそれやっていかなあかんってなると思う。
なんぼでも変わっていくし。
最近Twitterとかでもよく見ますけど、絵の練習とかって描いてあげてたりしてますけど、別にそんな練習しなくたって街出てナンパしてた方が何百倍も(笑)
ナンパしてても成功しようと失敗しようとその時に「あーどうやってあの女の子に声掛けよっか」っていうアイデアって言う方が絶対マンガ描く時おもしろい。
部屋にこもってないでみんなピーコックに行きなさい(笑)
ピーコックにはいろんなものが詰まってます(笑)
以上になります!
個人的には漫画家さんの、それも枚方出身の漫画家さんのバックグラウンドが知れてとても楽しかったですが、みなさんはいかがでしょうか。
今回はなんと瀬口忍先生からサイン付きの囚人リク1巻と、サイン色紙を頂戴しました!
(サイン本)
これらを1名様にセットでプレゼントしますので、こちらのフォームよりご応募下さい!
そして瀬口忍先生、お忙しい中インタビューにご協力いただきまして、誠にありがとうございました!